背景には日本の「性教育」のお寒い事情が
医療へのアクセスが良いとされる日本で、諸外国と比べて圧倒的にアクセスが悪い薬がある。緊急避妊薬(アフターピル)だ。避妊に失敗した際や性暴力に遭った際など緊急性が高いニーズに対応するものなのに、日本では薬局はおろかオンライン診療を認めるかどうかも結論が出ていない。その背景には「性教育」を巡る日本のお寒い事情があった。
「緊急避妊薬を薬局で買えるように求める署名があると知って、賛同したんですが、そんな薬があったんですね」
都内の20代の会社員は、知人から聞いたという「緊急避妊薬」に関する情報に驚きを隠さない。「今やネットで何でも見たり調べたりできる時代なのに、学校でしっかりと性教育を受けた記憶がないから、何が正しい情報か分からない。緊急避妊薬があることも知らなかったし、周りで知っている人もいないと思う」。
先進諸国では薬局で購入できる
それもそのはず。緊急避妊薬は一般の人が目に届く場所には売っていないし、もちろん宣伝を目にする機会もない。一方で、その存在を必要とする場面は、どの女性にも起きるかもしれないのだ。日本を除く先進諸国の多くで緊急避妊薬は薬局などで購入できる。ジェネリック医薬品(後発医薬品)も出ていて、米国の薬局では10㌦ほどで買えるという。ところが、日本で承認されている緊急避妊薬は「ノルレボ」という1種類で、ジェネリックは2月に製造販売の承認を受けたばかり。しかも、医師の処方箋が必要な処方薬だ。
産婦人科医によると、「ノルレボは性行為から72時間(3日)以内に1錠を服用することで、約8割の↖確率で妊娠を防ぐ」という。ただ、8割というのは平均値であり、「24時間以内であれば9割以上の確率で防げるが、時間が経つにつれ効果は薄れてくる。とにかく早期に受診し処方を受けることが大事だ」という。
ところが、日本ではその「受診」の壁が高い。10代はもちろん、20代、30代であってもかかりつけの産婦人科医がいる人は少ない。生理不順や子宮内膜症など受診が必要な症状や病気を持ちながら、病院を受診したことがないという女性が多く、妊娠して初めて、または不妊治療などで初めて、産婦人科の門をくぐるのが一般的だ。産婦人科が少ない地方では、「受診したことを人に見られるのではないか」と恐れる声もある。
都内の産婦人科医は「昨年だったと思うが、制服を着た女子高校生が産婦人科に入っていったのを見たという人が『避妊具も付けずにアホか!と言いたい』などとツイッターに投稿して炎上したことがあった。いまだに産婦人科に行く、イコール妊娠だと思っている人が多い証左だ」と語る。そうした風潮が、本来ならば早期に対応が必要な月経不順や重い生理痛などの症状がある女性を産婦人科から遠ざけてしまう。
海外では、思春期外来など10代が利用しやすい専門科があったり、かかりつけ医として産婦人科医が子どもの頃から高齢になるまで診たりする例があるが、日本では10代の女子の多くは産婦人科に限らずそもそもかかりつけ医を持たない。避妊に失敗したり、性的被害に遭ったりした直後の混乱の中で、初めての医師に下半身を見せることへの抵抗は大きいだろう。
だが、何より大きな障壁となっているのは、性にまつわることは「恥ずかしいこと」「避けるべきこと」だと認識される日本の風潮と、それを受けてなかなか進まない教育現場での性教育だ。教育現場だけでなく家庭内でも、そうした話題が語られることは少ない。
「性教育は寝た子起こす」と逆の研究結果
全国紙の教育担当記者によると、一部の政治家は教育現場で行われている一部の過剰な性教育を例に挙げ、「性教育は寝た子を起こすことになる」と主張しているという。「子どもに教える必要のない過激な内容が問題視されるのは仕方がないとしても、発達段階に応じた正しい性知識を教えることは自分の身を守る上で重要なことだ」とこの記者は語る。子どもは好奇心旺盛で、性についてもすぐネットで調べてしまう。そこで誤った知識を得て成長してしまうと、取り返しのつかない結果になりかねない。
若者に正しい性の知識を知ってもらう活動を進めるNPO法人ピルコンによると、性交や出産だけではなく、相手の立場を考えることなどを含めた性教育を行うと、若者の性行動は早まるどころか遅くなるという研究結果が出ている。「性教育は寝た子を起こす」との考えとは真逆だ。つまり、正しい教育を受けられないことで、緊急避妊薬を必要とする場面が増えている可能性もある。
もっとも国もこうした声を無視しているわけではない。過去には緊急避妊薬を薬局で買える市販薬(大衆薬)にする検討が行われたこともある。しかし、市販薬となり入手しやすくなると、悪用されたり乱用されたりする、結果的に性が乱れる恐れがあるとして見送られている。
オンライン診療の方はどうか。厚生労働省で2月に開かれた「オンライン診療の適切な実施に関する指針の見直しに関する検討会」では、緊急避妊薬をオンライン診療で処方することの是非が議論された。唯一の女性構成員であるNPO法人ささえあい医療人権センターCOMLの山口育子理事長は、緊急避妊薬には時間的なリミットがあることから、まずオンライン診療で処方することで安心してもらい、その後に受診を促すという通常と逆の順番があっても良いのではないかとオンライン診療を認める立場で意見を述べた。
これに対して、医療者側からは「既にかかったことがある産婦人科やかかりつけの先生から出していただくなどの制限がいいのでは」「安易に幾らでも出せる形になったら、若い女性がここでもらえるという感じで簡単に悪用されてしまう」といった反対意見が出された。産婦人科医の意見を聞いてさらに議論するということで結論は見送られたが、かかりつけ医を持つ若い女性がほとんどいない現状や悪用に対する理解がない意見が医療者側から出たのは残念だ。
「ネットで検索すると、海外から輸入したとみられる緊急避妊薬や中身が分からない錠剤を売っているサイトや個人がいくつも見つかる。薬局での購入や夜間休日も可能なオンライン診療などのアクセスしやすい環境を整えなければ、怪しいサイトや個人に頼る人は増えてしまう」とある産婦人科医は危惧する。健康被害の恐れに加え偽薬の恐れもあり、既に悪用や乱用は起きているのだ。
「望まない妊娠の可能性がある時、安心して産婦人科医に相談する環境を整えることが最優先されるべきだ。そのためには、子どものうちから性に対して医学的知識をきちんと教えることが不可欠だ」と前出の医師は語る。寝た子を起こすどころか、この国では大人達が眠ったままである。
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