大臣の進めたい政策や実務をサポートする「秘書官」。予算委員会や厚生労働委員会で大臣が答弁する際にメモを入れたり、耳打ちしたりする姿がテレビに映り込むこともあり、その存在は一般的に有名だろう。昼夜を問わない激務のため「幹部への登竜門」と思われがちだが、必ずしもそうでもないケースもある。
厚労省の場合、厚生系、労働系のキャリア官僚出身の事務秘書官2人と、政治家の政策秘書などを務めた政務秘書官1人の最大3人まで大臣秘書官として任命することができる。現在、秘書官には、社会・援護局生活困窮者自立支援室長などを経験した厚生系の本後健氏(1997年、旧厚生省)と、大臣官房広報室長などを経た労働系の宮下雅行氏(97年、旧労働省)の両氏に加え、政務秘書官に根本匠厚労相の政策秘書を長く務める赤松一男氏の3人が根本厚労相を支える。
秘書官の通称は、「カバン持ち」。夜の懇談など政務以外の公務にも随行し、レクに同席して大臣と事務方の繋ぎ役を担うのが役目だ。答弁に詰まった時のメモ出しなど国会審議や閣議後会見でのサポート、日程調整の他、政策助言なども行う。40〜45歳ぐらいで課長補佐や企画官などから登用され、大臣が交代したら秘書官も替わる「二君に仕えず」が不文律だ。そのため、大臣官房では常に内閣改造に備え、複数の秘書官候補者をリストアップしている。秘書官に求められるのは、大臣が何を考えているのか先回りして行動すること。人間的な相性も必要だ。現在の本後氏は真面目で堅物だが、宮下氏はお調子ものタイプで対照的。事務秘書官は2人いるため、とかく比べられがちで、ある大臣経験者はある秘書官を評して「彼は優秀で気が利くが、もう一人の方は真面目過ぎて堅いな」とこぼすこともあった。
大臣と事務方を繋ぐはずが、大臣側に立ち過ぎて省内から不評を買った秘書官もいた。塩崎恭久・元厚労相の秘書官を約3年務めた吉田一生・年金局企業年金・個人年金課長(96年、旧厚生省)だ。大臣答弁の直しを要求する口調が厳しく、吉田氏より年次が下で答弁書を作成する各局の政策調整員は戦々恐々。ある政策調整員は「内閣改造で塩崎氏が留任したことより、吉田秘書官が続投したことの方がショックだった」と苦笑する。
近年の秘書官経験者で事務次官まで登り詰めたのは、宮下創平・元厚相秘書官の蒲原基道・元事務次官(82年、旧厚生省)ぐらいだ。丹羽雄哉・元厚相秘書官を務めた武田俊彦氏(83年、旧厚生省)は医政局長で昨夏に退官。坂口力・元厚労相秘書官だった堀江裕氏(85年、旧厚生省)は東海北陸厚生局長、後任の梶尾雅宏氏(87年、旧厚生省)は日本医療研究開発機構執行役と、いずれも省外に出されている。藤澤勝博氏(84年、旧労働省)は政策統括官の要職に就いているが、「厚生と労働のバーターでたまたま異動しただけ」(労働官僚)。秘書官後、ラインから外れているケースも多い。
有望株もいる。尾辻秀久・元厚労相秘書官の大西証史・内閣官房審議官(88年、旧厚生省)や川崎二郎・元厚労相の秘書官を務めた山田雅彦・大臣官房審議官(89年、旧労働省)は評判が良く、まだ上を目指せそうだ。
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