研究事情
米国の研究について語ろうとすれば、まずメリーランド州にある保健福祉省の研究機関及び研究費配分組織であるNIH(国立衛生研究所:National Institutes of Health)について触れざるを得ないだろう。
NIHのミッションは、自然や生き物の行動についての知識の獲得及びそこで得られた知識の応用によって、人々の健康を向上したり、寿命を延ばしたり、病気や障害を減らしたりすることにある(翻訳筆者)。NIHは27の研究所から構成され、毎年ほぼ373億ドル(約4兆円)を米国人の医療研究に費やす。
この予算の80%以上は5万件以上と言われる競争的研究資金に渡る。それは最終的には、2500以上の大学、医学部その他の研究機関で働く30万人以上の世界中の研究者の手に渡る。
そして、約10%の予算は約6000人いるNIH内の研究者に配分される仕組みである。研究費の申請のチャンスは年に3回あり、その他にも企業や財団からの研究費もあり、米国が研究者にとって厳しさもあるが、天国でもあるといわれる所以がここにある。
ちなみに2014年で比較すると、国防関係の研究費はNIHの予算の2倍以上である。
医師の働き方との関係
既に述べたように、NIHの研究費の一部は日本と異なり、研究者自身の人件費に回すことが可能である。これは、研究者が豊かになれるという、今まで日本でも指摘されてきた側面以外に、実はこの後に述べる医師の働き方に非常にプラスに作用している。
NIHの研究費を人件費に充てることができるメリットはどういうものか。米国の医師の場合、半年とか3カ月あるいは1年という期間を、自らが獲得したNIHの研究費から人件費を捻出することによって、集中的に研究をする時間を作ることができるのである。
日本の場合、病院では週に1日の研究日があったりする。私も30年ほど前、病院で研究をしていたことがあり、英語論文も10本以上書いていた。その時の経験では、研究は数日間集中的に行う方が成果は出やすかった。なので、週1回の研究日では、あまり成果が出ないのではないかと考えている。
そのためかどうか分からないが、病院での週1日の研究日は、医師が他の病院にアルバイトに行ったりする時間に費やされていることが多い。
しかし、米国の場合は、臨床で感じた疑問をNIHの研究費を使って集中的に研究して解決するというキャリアが可能なのである。このことは、臨床家としての幅を大いに広げることになるのではないだろうか。
また、日々の臨床と違う仕事をすることで、働き方に関しても余裕が出てくると思われる。
米国の公衆衛生大学院
全米には医学部から独立した公衆衛生大学院が約100あると言われている。日本にも公衆衛生大学院はいくつか設立されているが、この後に述べるように規模、研究分野の幅広さなどで日米の差は大きいと考えられる。
ジョンズ・ホプキンズ大学公衆衛生大学院
ジョンズ・ホプキンズ大学(Johns Hopkins University)は、メリーランド州ボルチモアに本部を置く私立大学で1876年に設立された。
その公衆衛生大学院は1916年に設立され、世界初と言われている。現在の状況は以下の通りである。
■教官数(常勤:765人、非常勤:797人)
■学生数(79カ国から2650人)
■予算:約600億円
NIHの研究費の獲得額が第1位という実績を誇り、最近ではオンラインプログラムを開始し、日本からの受講生も増えている。
今回訪問した同大学ウェルチ・センターの松下邦洋・准教授は名古屋大学医学部出身で、ジョンズ・ホプキンズ大学が持つコホートを使ってCKD(慢性腎臓病)の研究をされており、英医学雑誌『ランセット』など有名雑誌に論文を次々と発表されていた。
ハーバード大学公衆衛生大学院
1913年にハーバード大学とマサチューセッツ工科大学(MIT)との共同によるCertificate of Public Health課程が開講し、1922 年にはハーバード大学にMITから独立した公衆衛生大学院(Harvard School of Public Health: HSPH)が開校した。
現在、HSPHには生物統計、環境保健、疫学、国際保健、医療政策などの9学部と15センターに約400人の教員、約900人の修士・博士課程の学生(うち留学生約250人)、約600人の研究者、約800人の職員を加えた計約2700人が在籍している。
日本人は1926年に最初の卒業生を輩出して以来、日本からも厚生労働省あるいは武見国際保健プログラム(武見太郎・元日本医師会会長の功績を称え、日医の協力の下、HSPHに設立された中堅医療従事者のための研究・高度研修プログラム)のフェローからの留学生が多いことで知られている。200人を超える同窓生がおり、現在では例年10〜20人程度が在学している。
今回訪問したイチロー・カワチ教授の研究室は「社会疫学」の概念を広めたことで知られている。社会疫学では、収入や教育年数、住んでいる地域など様々な要因で健康が決定され、それが健康格差に繋がると考えている。
高額寄付者の名前が付いているハーバード大学公衆衛生大学院。写真上は外観、下は研究室
参考文献
https://www.jhsph.jp
https://www.jhsph.edu/research/centers-and-institutes/welch-center-for-prevention-epidemiology-and-clinical-research/index.html
Matsushita K, et al. Lancet 2010;375:2073‐81
http://hsph.jp/about.htmi
『不平等が健康を損なう』(2004年、イチロー・カワチら共著、日本評論社)
https://www.nih.gov/about-nih/what-we-do/budget
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