従来のがん治療では、外科手術と抗がん剤、放射線が3本柱とされてきた。本庶氏らの研究の結果、現在では免疫の力を用いた新しいタイプの治療法が確立されつつある。それが、がん免疫治療。とりわけ、「PD-1」に注目したPD-1抗体治療である。
免疫系にはその働きを抑えるブレーキ役、強めるアクセル役があり、両者のバランス次第で様々な現象が起こる。PD-1が担うのはブレーキ役だ。そのブレーキを外して、免疫の攻撃力を高めることでがん細胞の撃退を図る。こうしたPD-1抗体療法の考え方に基づいて開発されたのが「オプジーボ」である。PD-1は免疫チェックポイント分子、オプジーボは免疫チェックポイント阻害剤と呼ばれる。
なお、本庶氏とともにノーベル医学生理学賞受賞が決まった米テキサス大学のジェームズ・アリソン氏が発見した「CTLA-4」は、PD-1とは別の免疫チェックポイント分子。その違いについて、本庶氏は自動車にたとえて「CTLA-4は駐車場で止まっているクルマのブレーキ役、一方のPD-1は走行時のブレーキ役のようなもの」と説明する。今では、これらを併用して効果をより高める研究も行われている。
数年前の英国の雑誌は、こうした状況を「がんにおけるペニシリンの発見」と記した。ペニシリンは肺炎治療に、その後に生まれた抗生物質が多くの感染症治療に劇的な効果を発揮した。同じように、PD-1抗体治療はがん治療を大きく変えるだろう。
がん免疫治療は三つの点で画期的
本庶氏らのチームがPD-1を発見し発表したのは1992年。その後、マウスによる研究に7〜8年を要したという。PD-1を持たないマウスが自己免疫疾患を発症するという実験結果などから、「PD-1は免疫系のブレーキ役」という確信を得て、ブレーキを外すことで臨床応用が可能という発想が生まれた。
「ブレーキを掛けたり、アクセルを抑えたりすると感染症を発症しやすくなります。また、がんも起こりやすくなります。例えば、臓器移植を行って長年免疫を抑えた人は、がんの発症率が高くなります」(本庶氏)
しかし、実用化までの道のりは遠かった。本庶氏が「PD-1で治療できるのでは」といっても、信じてくれる人はほとんどいなかった。免疫に働き掛けるがん治療は数十年前から行われてきたが、それらは成功とは呼び難いものだったからだ。
数々のハードルの中でも、難関だったのは臨床治験のためのヒト型PD-1を大量につくること。本庶氏は多くの企業を訪問したが、前向きな反応をなかなか得られない。結果としては、2005年に米メダレックス社と小野薬品工業がヒト型抗 PD-1 抗体に関する共同研究契約を結んだことで研究が加速した。
2006年には米国で治験が始まり、2年遅れで日本でもスタート。その結果が発表されたのは2012年。末期がん患者に対する治験が大きな効果を発揮したことに対して、世界の医療関係者や患者達が驚きの声を上げた。こうして、日本では2014年にオプジーボが承認され、同年に小野薬品工業から販売が開始された。
本庶氏による小野薬品批判が注目される中、この講演でも京大と小野薬品との間で交わした確認書の内容を踏まえながら、小野薬品側の主張に否定的な見方を示した。
PD-1阻害によるがん免疫治療は、三つの点で画期的なものである。「まず、全ての種類のがんに効く可能性が高い。次に、投与をやめても1年から数年以上有効なので再発が少ない。そして、がん細胞を直接攻撃せず、免疫系を活性化するので副作用があっても軽い」と本庶氏は言う。
がん細胞は遺伝子変異頻度が高いので、免疫系によって異物として認識されることが多い。全てのがんに効く可能性が高いのは、こうした事情による。日本でも近く、がん免疫治療が全てのがんを対象に承認される見込みだ。
がん免疫治療発展に向けた課題
今後、大きな発展が期待されるがん免疫治療だが、そのためにはいくつかの課題があると本庶氏は指摘する。
「基礎研究の課題としては、有効例と無効例の投与前または直後の判定の精度を高めなければなりません。有効率をさらに高める必要もあります。臨床現場の課題としては、がん専門医の訓練が重要。また、副作用の対応プロトコルの充実が求められています」
こうした課題を克服するにはある程度の時間が必要だが、いずれ「PD-1抗体治療は、がん治療の第一選択肢になると思います」と本庶氏は話す。化学治療や放射線治療の場合、やり方によっては免疫力を弱める可能性がある。その前に、まず免疫治療を行えば副作用は小さく、体力の損耗も少ない。
PD-1阻害によるがん免疫治療には、他との組み合わせによって効果の増進を図るというアプローチもある。現在、PD-1阻害とCTLA-4阻害や放射線などと組み合わせた治験が、世界中の研究機関で進められている。本庶氏らもミトコンドリアを制御する化合物を併用した研究などを進めているという。
がん免疫治療は想定外の幸運がもたらしたものだと、本庶氏は言う。
「獲得免疫の仕組みは脊椎動物が病原体から生命を守る戦略として進化し、その結果、脊椎動物の寿命は飛躍的に伸びました。幸運なことに、がん細胞も変異の蓄積で異物となり、獲得免疫のターゲットになります」
人類は今、難敵のがんを克服しようとしている。では、病気で死ぬことがなくなれば、人は幸福になれるのか、と本庶氏は問い掛ける。
「生命の基本要素を満たすことが快感に連動するように進化した生物が生き残ります。しかし、昔からいわれているように、快感だけでは真の幸福感を得ることはできません。一方で、不快感や不安感を持つことも生存に必要です」
例えば、危険な状況で不安を覚えない生物は、別の生物に捕食されやすい。人にとって、最大の不安は死の恐怖だろう。患者の抱くそんな不安にも、医師は向き合わなければならない。
「これまでの医療は、欲求を充足する方向で進んできたように思います。一方で、不安を和らげることも重要です。医師は両方を考えながら、医療に取り組むことが大事ではないでしょうか」
そう語って、本庶氏はスピーチを締めくくった。
LEAVE A REPLY