この夏、「腹部超音波検査初心者セミナー」というのに参加した。私が精神科医だと知っている人は「なぜ?」と疑問を感じるだろう。
私には今勤務する大学を定年退職したら、なるべく医師の少ない地域に移って地域医療に携わって晩年を過ごしたい、というささやかな夢がある。その時に「精神医療しかできません」では話にならないので、近年、少しずつ身体診察や治療のことも学び始めているのだ。
というより、腹部の検査については、それ以前の段階だ。
精神科の診察室にいても、腹部の臓器に問題がありそうな患者さんが訪れることはあって、これまで超音波検査をオーダーしたことはある。その後、患者さんに画像を見てもらいながら、戻ってきたレポートを読み上げるが、恥ずかしながら画像のどこに何が写っているのかもよく分からない。
患者さんに「先生、肝臓ってそっちじゃなくてこの辺りじゃないの?」と言われ、「あっ、そうかも」と冷や汗が出ることもある。
とにかく、そういう状況を打開するきっかけになれば、とたまたまネットで見つけたセミナーに参加してみたのだ。
会場に出掛けると、ほとんどが「これから検診業務に就くので、その前に基礎知識を得たい」とか、「訪問診療にもそのうち超音波診断を導入したいので」という若いドクターだった。
参加動機を聞かれ、「30年以上、精神医療しかやって来なくて身体診察が全くできないので」などと、しどろもどろで答えると、不思議そうな顔をする人もいた。当然だろう。
それから数時間、電源の入れるのもプローブ(端子)を持つのも全く初めての私は、講師の説明を聞いても、なかなかその通りのことができず、周りにも迷惑をかけっぱなしだった。
でも、講師は辛抱強く教えてくれ、受講生達も「もっとこうじゃないかな」などと親切に助言してくれた。
家庭で簡単な診断ができる時代に
最後に講師は言った。「この領域でもAI(人工知能)が大きな役割を果たすことになると思う。撮った画像の分析やそこから診断を付けるのは、もしかするとAIの方が得意かもしれない。でも、プローブをうまく当てて重要な臓器を描出するのは、まだまだ人間でなければできません。それには毎日、必ず一度は超音波検査を行うこと。それを100日続けたら、少しは自信も付いてくるはずです」。
毎日、行い、それを100日続ける……。私は目眩を覚えた。これから自分が勤める診療所に消化器内科のドクターが来た時に、たまに腹部の超音波検査に立ち合わせてもらってスキルを身に着けよう、などと考えていた私が甘かったことが分かった。
だとしたら、講師の予想よりも早く技術の進歩が起こり、初心者でもAIのガイドによってプローブを操作すれば臓器を描出できる、といった時代が早く来るのを期待するしかない。早速、調べると実際にそういう技術も実用段階に来ているという医療読み物を見付けた。
しかし、そうなると、新たな問題が出てくる。AIがプローブの当て方をガイドしてくれ、さらに撮った画像の分析や診断もしてくれるとなると、超音波検査を行う技師や医師自体がいらなくなる、ということだ。
実際に私が読んだ記事には、「そのうち体重計のように、どの家庭にも小型超音波診断装置が備えられ、不調を感じたらAIのガイドに従って自分でプローブを患部に当てれば、すぐに『胆石があります』『心臓の弁に異常があるようです』とその結果が表示される、そんな時代が来るかもしれない」といったことまでが書かれていた。
もしそうなったら、私自身は患者として、どういう選択をするだろう。それでもやっぱり「人間のドクターに検査してもらい診断を付けてもらいたい」と思い、超音波検査に定評のある病院まで出掛けて行くだろうか。
それとも、それほど高価でなければ、その「家庭用超音波診断装置」を購入して、自分の健康状態はAIと自分で管理するという方法を選択するだろうか。
状況にもよるだろうが、意外と後者を選ぶ気がする。実際に、血圧などはいちいち病院に行って計測してもらう時代から、家庭用血圧測定器で測り、自分で記録して管理する時代になっている。
超音波についても同じ、と考えると分かりやすいのではないだろうか。
AI診断で問われる医師の役割
さて、そうなったら、私達医師の役割はどうなるのか。「いくら自分で検査してAIで診断してもらえるようになっても、やっぱりお医者さんがいなくちゃ」と思ってもらえるために、私達が心掛けること、身に着けることは何なのだろう。
そんなことを医師の知人に話したら、「それはやっぱり患者さんを一人の人間として診て、一人ひとりの生活や人生についても心を配り、『今、この人に一番合った治療は何か』と考えることじゃないかな。AIは全ての人を匿名のデータとして扱うわけだから、それにできないことをするしかないだろう」という答えが返ってきた。
それを聞いて、私はふと思った。
——え、それって精神科医が今やっていることではないだろうか?
医師がとかく「臓器を診る、疾患を診る」となる中で、最も「一人の人間として包括的に診る」という姿勢で診察を行っているのが、精神科だといえるだろう。
だとすると、「将来は地域医療に貢献したい」と考えている私が今習練すべきなのは、今さらながらの超音波検査などではなくて、これまでやってきた精神医療的な診察や診断、治療を極めることなのかもしれない。
これぞ、医療版“青い鳥”。たった1日の超音波検査診断セミナーでは、大したことは身に着かなかったが、大きな収穫を得た気持ちになった私であった。
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