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未来の会

技術や知識以外にも必要な「言葉の腕」

技術や知識以外にも必要な「言葉の腕」

精神科医の私のところには、「他の科の先生に言われた言葉で傷ついた」という患者さんが時々やって来る。

 その中でも目に付くのは、“受診のタイミング”についての苦言だ。遅過ぎる、早過ぎるということで、医師に責められて怖かった、困った、悲しかった、というエピソードをかなり頻繁に聞くのだ。

 特に多いのは、「これほどになるまで、どうして放っておいたのか」というもの。湿疹ができたが、「そのうち治るだろう」と様子を見ていた。ところが、なかなか良くならない。市販の軟膏を塗って一時期は良くなったが、また悪化。ネットで調べて、「これが良い」というものをいろいろ試してみたが良くならず、「やっぱりお医者さんに診てもらおう」と皮膚科を受診。

 最初に症状が出てから数カ月がたっていたとのことで、皮膚科医は「あー、すっかり広がっちゃって。これはひどい。相当、時間かかりますよ。どうして、こんなになるまで放っておいたの。もっと早く来るべきしょう!」と強い口調で言ったのだという。

 ところが、その反対もある。

 ある朝、鏡を見ると、顔にポツンと小さな湿疹ができていた。知人でヘルペスが繰り返しできて悩んでいる人がいるので、これもそうではないかと怖くなり、皮膚科を受診した。

 すると、ドクターは、「えー、これくらい誰でもしょっちゅうできるでしょう? 何もしなくても、すぐに消えますよ。どうして、こんなことで病院に来たの?」。

これからできることでベストを尽くす

 受診のタイミングが遅過ぎたとか、早過ぎたとか言われても、患者さん達としてはどうしようもない。それに、その人達は医療の知識があるわけではないので、受診の適切なタイミングが判断できるはずもない。

 健康診断に関しても、そうだ。もちろん、定期的に受けるのが望ましいのだが、仕事や育児、介護の多忙、あるいは「採血が苦手」といった理由で、定期健診を何年か受けていないという人もいる。

 そういう人は症状が出てから病院を受診したら重い病気が見つかった、ということもある。特に乳がんや婦人科の健診をスキップしていて、気付いた時にはがんになっていた、というケースは少なくないようだ。

 「がんですね」と言われて、ただでさえショックなのに、追い打ちを掛けるように、「5年も健診を受けてなかったの? どうしてですか?」と問い詰められる。「どうして」と聞かれて理由を述べたとしても、今の現実が変わるわけではない。

 「きちんと健診を受けてくれていたら、早期に発見できたかもしれないのに」という医師としての悔しさは分かるが、ここはそれを患者さんにぶつけるべきではないだろう。常に「これからできることでベストを尽くす」という態度を忘れてはならない。

 とはいえ、そんな私も「どうしてこれくらいで病院へ?」と言いそうになることがある。例えば、「気付くと、涙が出ている。食事も喉を通らない。うつ病ではないか」と問診票に書いた患者さんに会ってみたら、「先週、婚約者に突然、婚約破棄を告げられたのです」と言う。

 その時はつい、「それから1週間でしょう? それじゃ涙も出ますよね。わざわざ病院に来なくても……」と言いそうになったが、慌てて思い直し、「きちんと自分に起きた出来事を受け止めて、悲しめる方が、その後の傷は小さくて済むのです。きっとあなたは立ち直れますよ!」と励ました。

 「それに今日、ここで思いを言葉にできたことで、心の傷はさらに治りが早まるはずです。ここに来たのは、無駄じゃなかったと思います」と、これは自分にも言い聞かせるように語った。

「どうして」はタブーなワード

 考えてみれば、自分自身も何か不調が起きた時、この“受診のタイミング”で悩むことがある。私は40代になってから時々頭痛を起こすようになったのだが、同僚に頼んで薬を処方してもらうだけで、なかなかきちんと検査などをしてもらう機会がなかった。

 そのうち、「悪い病気ではないか」と心配になり、ついに頭痛専門外来を受診するようになったのは10年くらいたってからだっただろうか。「どうして今ごろ来たんだ」と怒られるだろうかと思ったが、担当の神経内科医は優しくほほ笑んで、「忙しいと、なかなか受診なんてできませんよね」と言ってひと通りの検査をしてくれた。

 その結果、特に心配な所見はなく、いわゆる更年期に起きがちな片頭痛ということになったのだが、医師の穏やかな態度で、その後の頭痛も若干減った気がする。このくらい、医師のひと言というのは大きいのだ、と身をもって知った。

 もちろん、特に“過剰受診”の方は医療費を膨らませ、医師の仕事を必要以上に増やすので、なんとか抑制しなくてはならない。イギリスでは病院の受付に医療知識が豊富な専門職が配置され、症状を細かく聞いて「それなら特に詳しい検査はしなくても、まずこういう工夫を自分でしてみては」と生活指導を行って済ませるケースが多いそうだ。

 医療費が財政を圧迫している日本でも早晩、そうなるのかもしれない。

 ただ、それでも「医者の診察を受け、必要なら検査も」と望む人は、それほど減らないだろう。その時に「どうして、これくらいで来たんだ!」と声を荒げることなく、「ご心配ですよね」といったんは受け止め、「でも大丈夫ですよ。検査もクスリも今はいらないと思います」と笑顔で説明できるかどうか。

 これからの医師には、技術や知識以外にもそんな“言葉の腕”が必要ということだ。

 「どうして来なかったんだ」と「どうして来たんだ」。「どうして」は医師にとってはタブーなワード。もう一度、そう自分に言い聞かせ、「患者さんにとっては受診した時が、自分なりの最良のタイミングなのだ」と確認したい。

 私も「どうして」を封印して、これからも診療に当たりたい。

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