厚生労働省は昨年7月、事務次官級の新ポスト「医務技監」を創設した。医師免許を持つ医系技官のためのポストで、省内でにわかに医系技官に注目が集まっている。これまで医系技官の最高ポストは医療提供体制作りを担う「医政局長」とされてきたため、医系技官は「事務次官級まで昇り詰めることが出来るようになった」と歓迎する。
医務技監は省内で事務次官、厚生労働審議官に次ぐ三つ目の次官級ポスト。国際標準にこだわる塩崎恭久前厚労相が欧米では公衆衛生部門のトップ級が医師であることなどから創設を求めていた。医療分野を幅広く担当するが、特に保健医療政策の国際展開などで司令塔的な役割を果たすことが期待されている。
昨夏の幹部人事で医務技監に就任したのは、鈴木康裕氏だ。鈴木氏は1984年に旧厚生省に入省し、老人保健課長や医療課長などを歴任。直近は保険局長を務めた。米ハーバード大学大学院への留学経験があり、世界保健機関(WHO)へ派遣されるなど国際経験は豊か。当時、任命権者だった塩崎氏も同大学院へ留学したこともあり、「2人は波長が合う」(塩崎氏側近)。省内では「医務技監は鈴木氏のために出来たポスト。3〜5年は務めるのでは」(幹部)と囁かれている。
厚労省内の医系技官は約300人で、本省内に約170人が勤務。毎年10〜20人は採用してきた。2015年度採用は4人に落ち込んだが、17年度は18人にまで回復した。応募人数が少ないため採用試験に落ちる人は少ないが、「コミュニケーションに問題があるなど、年に数人落ちる」(幹部)という。採用に年齢制限はなく、40歳前後で採用されたこともある。学会などと同じで卒業年次主義。入省時の年齢によっては課長補佐から登用されることもあるのが事務官との違いだ。
医系技官で「最大派閥」とされるのは慶應義塾大学医学部出身者。出世頭の鈴木氏もその一人で、社会・援護局障害保健福祉部長の宮嵜雅則氏や労働基準局労働衛生課長の神ノ田昌博氏らがいる。ある出身者は「慶應の先輩から声を掛けられたのが、入省したきっかけ。数が多いだけに繋がりは強く、今でも出身者の集まりがある」と明かす。
かつては千葉大学や岡山大学など地方の名門大医学部からの出身者も多かったが、近年の中堅・若手では東京大学医学部出身者も増えている。将来の医務技監候補との呼び声高い保険局医療課長の迫井正深氏や、奈良県(医療政策部長)に出向している林修一郎氏(前職・医療課長補佐)らが挙げられる。慶應出身者に比べて数は少ないが、存在感がある。
慶大や東大の出身者が省内で幅を利かせているかというとそうでもない。幹部は「派閥というのはそこまでない。出身大学は幅広い」と話す。塩崎氏のお気に入りでWHOに派遣されている前大臣官房総括審議官(国際保健担当)の山本尚子氏(現・WHO事務局長補)は北海道立札幌医科大学、大臣官房厚生科学課長の浅沼一成氏は東京慈恵会医科大学を卒業し、幹部への道を歩む。
「これまでキャリア官僚に比べて存在感はなかった」(中堅)という医系技官。戦前には森鴎外も務めた陸軍「軍医総監」(中将相当官)が存在したが、医務技監は2025年問題など課題山積の医療分野で歴史に名を残すポストになれるか。
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