東京の大学病院勤務から神奈川県藤沢市に移り住んで30年、江ノ電某駅から海まで徒歩3分、大阪と東京しか知らない自分にとってマリンスポーツへの挑戦のはずだったのだが、湘南の海には1回も入ったことはない(笑)。
当時、独身外科医だった私は、外科系休日当番も積極的に引き受けた。その頃の救急当番は何でもありだ。印象に残る2ケース、これらはまさに海辺のクリニックならではであろう。
【その1】 救急車で運ばれてきたマッチョな大学生がサーフィン中に他人と接触転倒、左肩脱臼らしい、と救急隊員が説明する。我がクリニック自慢の救急室(今のER)上がりのピチピチナースがやおら裁ちばさみを持ってきてウェットスーツを切って脱がそうとする。大学生は慌てて「待ってください! アルバイトのお金を貯めてやっと買って、今日が筆おろしなんです! 10万円以上したんです! 自分で脱ぎます」。ナースと救急隊員が見守る中「痛た……」「切るわよ!」「もう少し待って」を繰り返し、20分後に何とか脱ぐことに成功した。
今度は私の出番だ。関係者注目の中、コッヘル法一発で整復出来た。自分でも奇跡だと思った。大学生からは大感謝され、半信半疑だったナース、救急隊員の私を見る目が変わったのが分かった。そのまま海へ行っていいよと帰したのだが、後日、整形外科の同期生に自慢話として話したところ、「バカ! レントゲンで骨折の有無を確認、三角巾で固定して運動は禁止にしなきゃダメじゃないか」と怒られた。私の医者人生の中でコッヘル法成功はこれ一度きり。打率は1割位か(ヒポクラテス法は数回成功)。この時、救急隊員は最後までいてくれた。脱臼ほど結果がすぐ分かるものはない。
【その2】 これは救急当番ではなかったが、とてもユニークでコミカルなケース。深夜2時頃、大先輩医師から電話があった。「篠原君、私の知り合いの東京某六大学教授が鼻腔に何かを詰めて取り出せないでいる。診てくれないか」。断れるはずもなく「すぐに来てください」と返答した。20分後に60歳位の男性が奥さん同乗の救急車で来院、早速問診したが、本人は下を向いたまま、奥さんは背中を向けて全く無言。
ようやく聞き取れたのは、明日の学生講義準備のつれづれに銀玉(注)を鼻に何個まで入るか試していたら取り出せなくなったとのこと。かかりつけの内科の先生に電話したが専門外とのことで私にお鉢が回って来た。私も耳鼻科医ではないのだが……。とにかく仰臥位を取って耳鼻科用ピンセットで慎重に取り出す。出るわ出るわ15個。介助のナースも笑いをかみ殺しており、私も何回噴き出したことか。奥さんは始終苦り切った表情。気まずい雰囲気の中、ご夫婦には治療後早々にお引き取り頂いた。
夜中であったが、妙に愉快な気分だった。大学の名教授でもこういうことをするんだ!! 保険請求は深夜割増、両側鼻腔内異物に対して異物除去術、詳記を付けて提出。返戻はなかった。翌日、先輩に報告したところ、大笑いで「篠原君スマンスマン」。後日、お礼として東京・湯島の「江知勝」で高級すき焼きをご馳走になり、名教授とは飲み友達になった。
(注) プラスチック製の「マジックコルト」というおもちゃのピストル(連発式)の直径7mm位のプラスチック製弾丸。
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