ネットメディアが既存メディアを批判する騒動に
国内の科学者の代表機関である「日本学術会議」が9月に発表した東京電力福島第一原子力発電所事故後の被ばく影響の報告書が、テレビや新聞などの既存メディアで〝黙殺〟されていることが話題になっている。イデオロギーに利用されがちな〝フクシマ〟に対するアカデミアからの回答は、どんなものなのか。そしてなぜ黙殺されたのか。
話題の報告書は、日本学術会議の臨床医学委員会放射線防護・リスクマネジメント分科会が公表した「子どもの放射線被ばくの影響と今後の課題─現在の科学的知見を福島で生かすために─」。9月1日から学術会議のホームページで公表されている。
分科会の委員長は湘南鎌倉総合病院附属臨床研究センター放射線治療研究センター長の佐々木康人氏。放射線影響研究所(放影研)の評議員を務める放射線の健康影響に詳しい専門家だ。その他、長崎大学や放射線医学総合研究所(放医研)を所管する量子科学技術研究開発機構の幹部など、医師や哲学者など広い分野の専門家がメンバーとなっている。
胎児への影響はないと断言
その内容はというと、「多岐にわたる報告書なので、ポイントはいくつかあるが、まず、胎児への影響はないと断言している点は評価することが出来る。一方で、その他の現在進行形の影響については、断定的な書き方を避けているところが多い。それよりも、放射線リスクの伝え方といったリスクコミュニケーションについて触れているところが興味深いといえる」(科学部記者)。
記者が注目した「胎児への影響」について、報告書はこのように書いている。
「福島原発事故に起因し得ると考えられる胚や胎児の吸収線量は、胎児影響の発生のしきい値よりはるかに低いことから、事故当初から日本産科婦人科学会等が『胎児への影響は心配ない』というメッセージを発信した」
「事故から1年後には福島県の県民健康調査の結果が取りまとめられ、福島県の妊婦の流産や中絶は事故の前後で増減していないことが確認された。そして、死産、早産、低出生時体重及び先天性異常の発生率に事故の影響が見られないことが証明された」
「胎児影響に関しては科学的には決着がついたと認識されている」
一方の子供の放射線被ばくの健康影響については、このようにまとめている。
「将来のがん統計において事故による放射線被ばくに起因し得る優位な変化がみられるとは予測されない、また先天性異常や遺伝的影響はみられない」「甲状腺がんについては、最も高い被ばくを受けたと推定される子どもの集団については理論上ではあるが、そのリスクが増加する可能性があるとしている」
放射線医療に詳しい専門家は「子供の健康影響をはっきりと評価するためには、少なくとも事故から十数年が経過する必要がある。現時点では何を言っても予測や推察の域を超えない」と解説する。厚生労働省の関係者も「放射線の影響はすぐに出るものと長期間かけて出るものがある。例えば白血病や甲状腺がんは被ばくの影響が早期に出るが、その他のがんは何十年もたってから現れる」と語る。
将来の予測は分からないとはいえ、現時点で分かっている研究から子供の健康影響に関してまとめて報告している報告書は画期的といえる。
ところが、この報告書を報じたメディアはほぼなかった。日本学術会議によると、報告書は通常の報告書と同じように、科学部が多く所属する記者クラブなどに配布しているといい、学術会議がひっそりネットで発表した、ということはなさそうである。
「読売新聞と朝日新聞が報じましたが、掲載面は福島県版で全国的には報じていない。反原発の主張を明確に掲げている東京新聞や毎日新聞は報じなかったことから、恣意的なニュースの選別だ、とインターネットを中心に批判が高まった」(全国紙記者)という。
こうした批判に対し、ある全国紙の科学部記者は反論する。
「報告書が科学的な予測として根拠にしているのは主に、原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEAR)の報告書といくつかの論文だ。その時点、その時点で報じているので、改めて学術会議の報告書を取り上げる意味はないと判断した」
コミュニケーションスキルのアップ提言
続けて記者は「この報告書の注目スべき点は、これまでに出された科学的な見地よりも、それが社会にどう受け入れられているかに言及している点だ」と語る。
再び、報告書をひもとこう。
「科学的事実が蓄積され、実際の被ばく線量が明らかにされつつあるものの、子どもへの健康影響に関する不安がなかなか解消されない」「放射線との関連性が否定されたとしても、患者個人やその家族は、病因が不明であること(放射線ではないなら、何が原因なのか)や不平等感(なぜ自分あるいは自分の子どもだけが病気になったのか)から、釈然としない思いを抱くだろう。患者や家族の気持ちに寄り添うスキルを、小児がん治療に関わる医療関係者から学ぶ必要がある」
科学的にどれほど「正しい」ことを発表しようとも、それが思うように社会に受け入れられてこなかったことを率直に記し、コミュニケーションスキルを上げる必要があると提言しているのである。
ちなみに、報告書は報道に対して何も注文はしてはいない。にもかかわらず、この報告書は既存メディアへの批判、攻撃材料に使われた。
「学園問題でも、獣医学部を誘致した愛媛県の前知事の発言を取り上げなかった、取り上げ方が少なかったとネットを中心に朝日新聞などへの批判が沸き上がった。何をどう報じるかは各報道機関が判断することだが、現代はメディアが情報を選別することにアレルギーが強い時代といえる」(学術会議関係者)。
前述の科学部記者が溜め息をつく。
「今回のネットメディアを中心とした批判は、ニュースとは何かという根本的な問題を突き付けた。二つの実験が行われて、一方は影響が大きい、一方は影響がないという結論が出たとする。その場合、影響が出た方を取り上げるのがメディアの定石だ」
同じ事故なら、死者が多い方が扱いは大きい。過去に報じたことは何度も報じない。そんなメディアの元々の性格が、「フクシマ」というイデオロギーのぶつかり合うテーマで思わぬ批判に繋がったのが今回の騒動のようだ。
既存メディアからネットメディアに転職した編集者は「番組の時間や紙面の枚数が限られている既存メディアと異なり、情報の洪水の中から好きなものを選べるのがネットメディア。ニュースを自分で選ぶのが当たり前の時代には、こうした批判は今後も繰り返されるだろう」と予測している。
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