環境対策先進国で知られるドイツの中でも、先進的な環境対策で知られるフライブルク市(ドイツ南西部、バーデン=ヴュルテンベルク州の郡独立市)は、健康増進についても積極的に取り組んでいるので、紹介したい。
フライブルクの歩み
フライブルクは第2次世界大戦末期に英国空軍の空爆によって破壊されたが、戦後、環境都市(エコシティ)として生まれ変わった。
14世紀に起工し16世紀に完成した大聖堂(ミュンスター)も爆撃で破壊されたが、1946年1月までにほぼ元通りに修復され、現在、大聖堂広場は町のシンボルとなっている(写真①)。
その他、フライブルクで話題になるのは、オーストリア・ハプスブルク家の王女マリー・アントワネットが1770年、後にフランス王ルイ16世になるルイ・オーギュスト王太子の元へ14歳で輿入れする際、当時オーストリア・ハプスブルク家が支配していたフライブルクに立ち寄ったというエピソードだ。
ちなみに、ハプスブルク家はライン川の上流、スイスのバーゼルからさらに数十㎞離れたブロックという小さな町から始まったといわれる。つまり、ハプスブルク帝国の歴史はこのライン川上流の田舎領主が神聖ローマ皇帝になってから始まるのである。
もう一つ、アレマン人という言葉がある。これは現在のドイツ人一般を指す言葉であると同時に、フライブルグを中心にすれば、フランスの南東からスイスの北半分約200kmの園内を、古来アレマンと呼び、この辺りの人々は現在でも自分達をアレマン人と自称している。
フライブルクは「ドイツで最も清潔な街」とも称される。旧市街には疎水が流れ、あたかも小川のようである(写真②)。1992年には「環境首都」に選ばれた他、「持続可能性のある自治体」として表彰されたり、自治体の太陽光発電量を競う「ゾーラーブンデスリーガ」では人口10万人以上の部門で何度も1位を獲得したり、「気候保護(地球温暖化防止)における連邦首都」の人口10万人以上の部門で優勝したりしている。
また、環境保護を掲げる「緑の党」の牙城で、市民の支持が根強いことでも知られるエリアである。
フライブルクは大学都市でもあり、ドイツで5番目に古いフライブルク大学もある。同大学では哲学者マルティン・ハイデッガーが総長を務め、医学部付属病院は1600床を誇る。国際会議なども多く開かれている。
南には「黒い森」を意味する「シュヴァルツヴァルト」が広がる。フランスの国境にも非常に近く、最も近い場所で3km、スイスとの国境からは42km離れている。
今回と次回で、このフライブルクの環境都市としての取り組みと健康増進地域としての取り組みの二つを紹介したい。
環境都市としての取り組み(写真③)
フライブルクではエコのため市中心部への車の乗り入れを極力制限しようと、パークアンドライドポイントというものを設けている。具体的には74年に住宅地を緑化、さらに中心部へ向かう手前に共同駐車場を作り、環境に良い公共交通機関に乗り換えるポイントとした。市民はここで車からトラム(路面電車)、バスからトラムに乗り換えて市中心部に向かう。
当時、約6万人の流入人口があるとされ、市民の交通手段として車、公共交通機関、自転車を3分の1ずつに振り分けた。また、バスとトラムなどの共通統一定期券や共通乗車券を作り、乗り換えの手間を省いている。このような政策により、公共交通機関の赤字がドイツでは下から2番目となった。
市は市民の利便性向上と公共交通機関の利用を促すため、沿線に住宅を作っていく交通拡張政策をとっている。これは欧州における交通の最優秀システムと言われ、松本市(長野県)をはじめ多くの日本の行政機関も視察に訪れている。
また、世界最先端のエコタウンといわれる「ヴォーバン地区」もフライブルクにある。ヴォーバン地区では各戸で駐車場が認められておらず、共同駐車場という形にして、トラムを利用してもらうようにしている。
トラムには駅舎はなく、路面が緑化されている。利用者は車道を横切り、歩道でトラムを待つ。車は時速6〜7kmの低速で走るエリアを設け、子供が遊んでいても安心出来るようにしている。 また、ドイツ・パッシブハウス研究所が規定する性能認定基準を満たす省エネルギー住宅「パッシブハウス」も多く作られている。
地域のマネジメントは市が握り、有限会社を設立。交通に関しては100%出資、エネルギーに関しては37%出資の会社をこの有限会社に紐付けて、それぞれのオペレーションを行っている。その結果CO²排出は大幅に下がり、原発依存率は3%になったという。
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