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自らを実験台に糖質制限療法を確立

自らを実験台に糖質制限療法を確立
江部康二(えべ・こうじ)1950年京都府生まれ。74年京都大学医学部卒業。同大結核胸部疾患研究所入局。78年高雄病院医局長、副院長を経て、2000年理事長。『江部康二の糖質制限革命』など著書多数。

一般財団法人高雄病院(京都市)理事長
江部 康二/㊦

 2002年、52歳だった江部康二は、2日連続して測定した血糖値によって糖尿病の現実を突き付けられ、大いに落胆したが、へこんだ気持ちはわずか一晩で回復した。

 「自分を実験台にして、食事療法をすればいい。患者に頼むプレッシャーから解放されるのは、ラッキーではないか」。実はそれまでに、糖尿病を薬なしでコントロール出来るという証拠を、十数例余りの患者で確認してきていた。

 当時も今も、日本の糖尿病の食事療法のスタンダードはカロリー制限食だが、高雄病院では1999年から、当時院長だった江部の2歳上の兄が糖質制限食を導入していた。兄は幅広い疾患に対応する漢方医として糖尿病患者と向き合う中で、当時話題になった『シュガーバスター』(99年、訳本、講談社)という砂糖や糖質の弊害を啓発する本や、冒険家の植村直己のイヌイットの村での肉食生活の体験談に触発され、糖質を制限する患者食を考案していた。

 しかし、病院の3人の管理栄養士達は疑心暗鬼で、江部も「変なことを始めたな」と遠巻きに眺めていた。

患者の劇的改善で“宗旨替え”

 2年後の01年、江部が診ていた患者は、血糖値546mg/dL、HbA1c14.6%、尿糖100g/日超えという重度の糖尿病だった。入院させて、玄米、野菜、魚、鶏肉などを用いて1日1600kcalに抑えた食事とウォーキングを組み合わせて生活改善を図ったが、1週間経っても食後血糖値は400mg/dlを切らなかった。

 その患者は兄の患者と同室だったが、自分の食事が控えめな盛り付けなのに対し、兄の患者は肉や魚が多く、おかず中心で見た目にもおいしそうに映ったようだ。主治医である江部に「あちらを食べたい」とせがんだ。

 江部は一瞬カチンと来たが、患者の希望を入れることにした。果たして、糖質制限食に切り換えた日から、食後血糖値は200 mg/dLを切り、尿糖も8g/日と、数値は見る見る正常化した。

 これには度肝を抜かれた。「薬は全く使っていないのに、こんな劇的な改善はあり得へん」。過去に自分も断食を体験し、主食を取らないことはそう悪くなさそうだと感じていたこともあり、「1例の証拠で十分」と、あっさり“宗旨替え”した。

 兄は糖質制限食を深く究めることはしていなかったが、江部はインターネットを駆使して集めた文献を読み漁った。「海外では、糖質制限食は異端な食事ではない」。病院を挙げて、糖質制限食を推進することになった。

 その1年後に何と自身が糖尿病を発症。ピンチは最大のチャンスと捉えた。実は患者に様々な食品を摂取してもらい、その後の血糖値測定を頼んでいた。血糖自己測定は指に針を指すだけとは言え、患者に申し訳ないと感じていた。これからは、何でも自分で試すことが出来る。

 「自分が主治医だ。薬は絶対飲まず、糖質制限を徹底して治そう」

 翌日から1回の食事の糖質摂取量を20g以内に収める食事制限を行うことにした。元から基本は1日2食で、朝はブラックコーヒーを飲む程度、昼は病院で患者と同じ糖質制限食給食を食べる。夕食は妻に頼んで糖質を控えたメニューを用意してもらう。野菜や食物繊維などは積極的に採り、必要な栄養素は欠かさないが、炭水化物は避け、おかずばかりを食べる。甘味料は血糖を上げないエリスリトール(カロリー0の天然甘味料)に変えた。大好きな酒を止めることは出来ないが、日本酒から焼酎などの蒸留酒中心に切り換えた。

 食事を切り換えたその日から血糖値は下がり出し、血圧も正常化した。半年続けた結果、糖尿病発症時、身長167cmで67kgあった体重は57kgになり、現在もそれを維持している。メタボリックシンドロームからも脱し、CTで内臓脂肪を測定してみると、126c㎡あったのが半年後には72c㎡と正常になっていた。

 当初は摂取していた食物を記録していた。何を食べてどれぐらい血糖が変動するかが、およそ把握出来るようになり、その必要もなくなった。自らを実験台に、糖質制限療法を確立していったのだった。

 自分が実践していれば、患者にも自信を持って勧められる。この治療法を広めたいと、05年に治療を体系化した最初の本を出した。07年からブログで発信開始した。それらを読んで糖質制限療法を採り入れた人気作家の宮本輝氏が服薬なしに順調な回復をしたことから、患者同士語り合う機会も得た。

「糖尿病は天から与えられた使命」

 00年、高雄病院の理事長に就任。17年現在、糖尿病が発覚して15年が経過、67歳の江部はますます元気だ。視力は裸眼で広辞苑が読め、老眼鏡は不要、身長は全く縮んでおらず、歯も1本も失っていない。夜間の頻尿で悩まされることもない。高雄病院、分院のクリニック、個人で開業したクリニックの3カ所で、週に6日の外来を行っている。その合間に、年間30回ほどの講演をこなす。ブログは毎日のように更新、立て続けに著作を出している。オフのテニスでは、同世代の仲間達が3ゲームで音を上げるのに、江部は疲れ知らずだ。ライブハウスが閉まるまでは、20年間、月に1回バンドのボーカルとしてステージにも立っていた。

 「どう考えても普通の人の2〜3倍働いている。これほど活動力が高いのは、糖化による老化が防げているためではないか」

 老化には、糖化と酸化が関わる。活性酸素による酸化はある程度仕方ないとしても、厳格な糖質制限を行うことで糖化はかなり防げているはずだ。

 糖質制限中は、ブドウ糖の代わりに、脂肪酸-ケトン体が主エネルギー源として常に燃えている。食後の高血糖にインスリンが過剰に反応すると、血糖の急降下に際して眠気が生じるが、江部はそうした眠気と無縁で、常に“臨戦態勢”にあるようだ。糖質は1回の総量を抑えればいいので、食の楽しみは失われていない。ステーキなど肉類も魚貝類も卵も野菜も食べ放題。日本酒なら猪口1杯、乾杯のビールコップ3分の1程度なら、許容範囲だ。フグのコースを食べに行けば、締めの雑炊もお椀に3分の1ぐらいは食べられる。

 体を張って実践した糖質制限は「人類の歴史から見ても生理学的にも理にっている」と確信を深め、“伝道”に力を入れてきた。賛同する医師も増え、糖質制限食の市場は今や4000億円規模に膨らみ、東大病院などでも緩やかな糖質制限食が採用されている。医療現場も糖質制限食を看過出来なくなっており、風向きは確実に変わってきた。

 「糖尿病になったのは、天から与えられた使命のような気がする。自分の健康度がメッチャ高まっただけでなく、糖質制限食で日本人が健康になり、医療費が激安になったら、国民栄誉賞級だね」 
 子供のような満面の笑みを浮かべた。(敬称略)


【聞き手・構成/ジャーナリスト・塚崎朝子】

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