日本医師会が主催する「死亡時画像診断研修会(Ai=Autopsy imaging 研修会)」に、2日間にわたって参加してきた。今回はそこで得たことについて記してみたい。
私は精神科医なので「なぜ?」と思われるかもしれないが、精神科でも通院中に自宅で、あるいは入院中に死因がはっきりしない突然死を遂げる方が時々いる。その方達の死因究明にも役立つのではないか、と思っての参加だ。
また、もっとも避けたいことだが、自死の問題もある。
私の期待通り、精神科通院中、入院中で亡くなった方の死後のCTなどから、その死因の特定を試みた事例がいくつか呈示された。誤嚥による窒息、くも膜下出血や大動脈解離の合併などがCTによりはっきり示されるケースもあれば、CTだけでは結局、決定的要因の特定に至らないケースもあった。
特に心筋梗塞はCTでは病変が捉えられにくく、病理解剖が必要な場合も多いが、事件性が無いことがはっきりしていれば、ほとんどの遺族がそこまでは望まない。
医療の側も一般的には、“患者さん”としてケアの対象にするのはあくまで命がある限りにおいてであり、亡くなった瞬間にその人は医師の手を離れる。
看護師さんがエンジェル・ケアを施せば、その人は「ご遺体」と呼ばれて、院内の霊安室、自宅や葬儀場に移ることになる。病院からは“消えた人”となるのだ。
これは何年か前、父を自宅で見送った時に思ったのだが、家族にとってはその人が死んだ瞬間にすぐに“消えた人”にはならない。
父の場合、自宅に住職に来てもらい葬儀を行ったので、出棺までずっと亡くなった部屋に寝ており、家族はまるで父がそこにいるかのように感じていた。
在宅死した人と家族の関係に近いAi
「Ai」は、命が終わった後にも医師や医療関係者がその患者さんに関心を持ち、「ご遺体を丁寧に扱って死因を究明する」というケアにも近い眼差しを向けるという意味では、「在宅死した人とその家族」との関係に少し近いと思った。
しかし、ここで一つ問題が生じる。先ほどの私自身の父のケースで考えてみよう。
父は亡くなる前、一時、入院していたのだが、全身状態が悪化して腎不全や敗血症に陥った段階で、家族の意思で退院させ、最終的に在宅で人生の終わりを迎えることが出来た。
在宅療養というより、本当に「看取り」だけのための退院である。
とはいえ、家族の満足度は高く、誰もが「これで良かったのだ」と感じた。
だから、そこで「最終的な死因は何だったのかを確認するためにも、CTを撮りましょう」と言われても、私を含めた家族はおそらく断ったであろう。
せっかく「医療の管理から解放してあげよう」と家に連れて帰ったのに、亡くなってから再びCT撮像だけのために病院の門をくぐるというのは、抵抗があまりに大きい。
今後、在宅ホスピス、在宅看取りはますます増えると予想されるが、そうなれば反比例して死亡時画像診断の機会は減るのではないだろうか。
実は、私がこの研修会に参加した翌日、この分野の草分けである医師で作家の海堂尊氏とテレビの収録の仕事でご一緒する機会があった。昨日までのテキストを持参して海堂氏にサインしてもらいながら、上記の疑問をぶつけてみた。すると、海堂氏はこう答えてくれた。
「在宅看取りの方でも、より精緻な死因究明のための画像診断を、という議論は既にあるのです。これはまだアイデアの段階ですが、斎場にCT撮像施設を併設しては、といったプランもあります」
確かに、いくら在宅で看取ることが出来ても、ご遺体は最終的には斎場に移されるわけだから、そこでの撮像となれば遺族も同意するかもしれない。
少なくとも私は、「最後に父の体内の様子を記録しておきたい。データとして医療の発展にも役立ててほしい」と思ったはずだ。
医療訴訟で有用な死後CT
また、その研修会で印象的だったのは、死後CTは増加しつつある医療訴訟の際にも有用という話だった。
万が一、訴訟となった時に、CTは画像データなので、客観的材料として第三者に見てもらうことも出来る。
ところが、病理解剖は通常は同じ医療機関で行うので、裁判ではその結果は証拠として採用されないことが多いのだそうだ。
もちろん、医療訴訟は避けられればそれに越したことはないが、不測の事態で使う可能性も念頭に入れて、入院中の急変による死亡の際はCTを撮像させていただいた方が良い、ということか。
特に日本では「亡くなった人をさらに傷つけたくない」という遺族の感情が強く、病理解剖は勧めても同意を得られない場合が多いが、時間も短くご遺体の損壊もないCTはその点でも有用だろう。
とはいえ、この死亡時画像診断はまだまだ一般に広く理解されているとは言い難く、遺族に十分な説明が必要なことは言うまでもない。
「命は終わっても1人の大切な患者さんなのだから、きちんと最後の診断を付けさせていただきたい」と誠意をもって説明し、同意してくださった遺族とそのご遺体には感謝の気持ちを忘れなければ、大きなトラブルにはならないのではないだろうか。
今回はそれを説明する紙幅がないので、また別の回にしたいのだが、特に子供の場合、死亡時のCTで虐待を見抜けることがあるという。あってはならない暴力で命を落とした子供の死因は、何としても特定しなければならない。
医療は生きている人のためだけのものではない。それを改めて確認した研修であった。
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