医療政策から厚労官僚と日医を「排除」する安倍官邸
「もはや厚労省は組織の体をなしていない。塩崎(恭久)大臣1人にかき回されている。これで日本の医療は守れるのだろうか」
日本医師会(日医)関係者が苦々しい表情で語った。
厚生労働省に設置された私的諮問会議「新たな医療の在り方を踏まえた医師・看護師等の働き方ビジョン検討会」(座長=渋谷健司・東京大学大学院医学系研究科国際保健政策学教室教授、以下ビジョン検討会)に対する批判である。
「屋上屋架すやり方」は官僚不信の表れ
厚労省は医師が都市部や大病院などに集中する状況の打開に向け「医師需給分科会」(座長=片峰茂・長崎大学学長)などで検討を重ねてきた。ところが、同じ厚労省がビジョン検討会を突如立ち上げ、分科会などは昨年秋から開かれないという異常事態が続いていた。
これについて、厚労官僚OBは「ビジョン研究会は塩崎大臣の肝煎りでつくられた。自分のお気に入りの学者たちを起用するスタイルは『保健医療2035』と同じだ。塩崎大臣は厚労官僚への不信感があるのだろうが、屋上屋を架すやり方は、かえって行政の停滞を招く」と批判的に語った。
懸念は現実のものになった。ビジョン研究会が報告書をまとめたことを受けて4月20日に再開された医師需給分科会や同日の社会保障審議会医療部会で批判や異論が相次いだのだ。未だに医療関係者たちの理解は得られていない。
日医執行部の不満は、屋上屋を架されたことだけではない。ビジョン研究会がまとめた報告書の内容にも向けられている。
昨年6月の「医師需給分科会」の中間報告書は「規制を含む対策が必要」とし、医師の自由開業や診療科の自由標榜の見直しにも踏み込んでいたが、ビジョン研究会はその根拠を否定するように医師への実態調査を実施し、それらを基に独自の分析を行って「『規制的手段によって医療従事者を誘導・配置すれば足りる』との発想に依存すべきではない」と分科会の中間報告書を全面否定する内容となったためだ。
分科会メンバーにすれば、顔に泥を塗られた形である。ビジョン検討会の報告書が、あまり議論をした形跡がない新専門医制度などに言及していることを取り上げ、日医の委員が「こうしたことを書く根拠はどこにあるのか」といった報告書の作成プロセス自体に疑問を呈する一幕もあった。
日医関係者は「塩崎大臣は(厚労省)医政局幹部を信用していないということなのだろうが、内紛劇なら迷惑だ。正直に言って、ビジョン研究会は位置付けも責任も明確ではない。厚労省はさらに新組織を立ち上げるようなことを言っているが、我々の議論をないがしろにするようなことは失礼であり、やめてほしい」と憤る。
だが、安倍(晋三)首相にも近い永田町関係者は「問題の本質は厚労省の内紛ではない」と指摘する。「ビジョン研究会を立ち上げた塩崎氏の思惑がどこにあったかは別として、官邸は一連の動きを注視している。安倍官邸が医療政策を決定する場面から、厚労官僚だけでなく、日医を実質的に追い出そうとしていることの方が、より深刻だ」というのだ。
この永田町関係者が例示したのが、働き方改革における厚労省の排除だ。「労働政策といえば、厚労大臣の諮問機関である労政審(労働政策審議会)の議論を踏まえて作られてきた。だが、労政審では権限を持たない労使の中堅幹部が組織の代弁者として延々とペーパーを読み上げ、なかなか結論が出ない。こうしたダラダラした手法に苛立ちを感じていた経産官僚が、『首相と労使トップが直接話す会議を作りましょう』と安倍首相に直談判して出来たのが、働き方改革実現会議だった。医療についても、同じような態勢に移行させていくことを狙っているのは安倍官邸だけでなく、経産省や財務省も同じ思いを持っているのではないか」というのだ。
別の政界関係者が補うように解説した。「医療制度の見直しでは、日医が必ず口出しする。とりわけ中央社会保険医療協議会は『専門知識の無い奴らは黙っていろ』と言わんばかりの雰囲気だ。どんな政策も日医の都合のいいようにねじ曲げられていく」との指摘だ。
そして、厚労省の諮問機関の性格を分析した。「識者や学者で構成される他の省庁の審議会とは異なり、医療関係者や保険者団体の代表で占められる。専門家から役立つ意見を吸い上げようというのではなく、厚労省が関係団体と事前調整した政策案を『関係団体全員が出席している場で確認した』という実績が必要なだけであって、極めて形骸化した審議スタイルを取ってきた。こうしたやり方では、関係団体に大きな痛みを求めるような政策を展開出来るはずがない」というのだ。
これについて、自民党議員OBは「社会保障費抑制の選択肢がだんだん狭まってきている現状で、厚労省の審議会運営を変えなければ、思い切った改革は出来ない。塩崎大臣と安倍首相の間で何らかの意見の擦り合わせがあったかは分からないが、厚労官僚だけでなく日医の影響力も弱めなければ、厚労行政は思うように進まないとの認識では一致しているだろう」と推察する。
事の重大さに気付かない日医執行部
さらに、自民党のベテラン議員は「日医は中医協における中川俊男副会長の高圧的な態度で損している。中川氏は厚労官僚の評判も極めて悪い。日医の影響力を抑えたいというのは、実は厚労官僚の本音なのかもしれない」と見立てた。
その上で、極めて興味深い指摘をした。「ビジョン研究会の報告書が、医師偏在の解消のために強制的な手段を使うことに反対したのを、日医執行部はあまり重視しているように見えないが、あまりに認識が甘い。日医の委員がメンバーになっている医師需給分科会の中間報告が『規制を含む対策』を打ち出したことに日医会員からは不満の声が高まっていただけに、日医会員の多くは歓迎している。『頼りにならない日医執行部よりも、ビジョン研究会のメンバーの方がよほど実情を分かっている』との声だ。もし、これが日医の組織分断を狙った仕掛けだったとしたら極めて巧妙だ」というのだ。
これに対して、中川副会長は前述の社会保障審議会医療部会で「厚労省は今まで審議会を通し、きちんとした合意形成過程を経て医療政策を決めてきた。しかし、今回は議論、政策の形成過程が大混乱したと考えている。元に戻さないと大変なことになる」と危機感を露わにしたが、日医の執行部には焦りは見られない。むしろ「横倉(義武)会長が次期世界医師会会長になった今、政府も無茶なことはしてこない」といった楽観論が無くならない。だが、日医の弱体化を巡る政府内の思惑は交錯している。日医がこのまま無策に過ごせば、その牙城は崩されかねない。
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