小泉悠(こいずみ・ゆう)
1982年千葉県生まれ。2005年早稲田大学社会学部卒業、07年同大学大学院政治学研究科修了。政治学修士。民間企業を経て、09年外務省分析員。10年にはロシア科学アカデミー世界経済国際関係研究所客員研究員。現在は公益財団法人未来工学研究所の客員研究員。ロシアの軍事、安全保障を専門とし、著書に『プーチンの国家戦略』『軍事大国ロシア』など。
安倍晋三首相は2016年12月にロシアのプーチン大統領を地元山口県に招いて首脳会談を行った。「ウラジーミル」と呼び掛けて緊密さを強調したが、今後の対露関係の進展に結び付く内容はあったのか。米国ではトランプ新大統領がロシアとの関係を修復しようとしている中、国際情勢におけるロシアの今後の動向や日本の対露政策の在り方について、ロシアの現状に詳しい小泉悠氏に話を聞いた。
——ロシアに好意的なトランプ米政権の誕生で、米露関係の今後が注目されています。
小泉 米露関係を考える時、両国間の経済取引はそれほどないので政治面の占める比重がとても大きくなります。どちらかの大統領が関係を良くしようとすると一気に盛り上がりますが、政治問題が持ち上がると、またガクッと落ちます。激しい乱高下を繰り返す関係といえます。今回のトランプ政権とは早くも蜜月と言われていますが、ブッシュ、オバマという過去2人の大統領とも蜜月で始まりました。そのうち安全保障問題や人権問題などで「話が合わない」となり、任期終盤で“戦争”が起きます。ブッシュ政権の時は2008年にグルジア戦争、オバマ政権の時には14年のウクライナ介入と15年のシリア介入がありました。トランプ大統領に対してロシア側は「都合がいい」と期待していますが、だからと言って「ロシアの操り人形だ」「米露協調だ」などと言うのは早計だと思います。ロシアにとって「都合がいい」のは米国が孤立主義だからです。トランプ氏は大統領選挙中にウクライナ問題はドイツに任せておけばいいとさえ言っていましたので、欧州に対する米国の関与は低下するかもしれない。一方のロシアとしては「権威主義的な体制はいずれ民主化で倒される」という流れをどこかで変えたいと思っています。ロシアの友好国は権威主義ばかりですから。ロシア自身が民主化運動で倒されることはありませんが、内政の不安定化につながりかねません。そのような中で孤立主義のトランプ大統領は「都合がいい」のです。
——プーチン大統領とはどのような人物ですか。
小泉 KGB(ソ連国家保安委員会)を中佐で辞めた、あまりパッとしない人物が10年も経たないうちに大統領代行になり、2000年には正式に大統領になりました。彼の考え方の基本にあるのは「力」です。国内を抑え込むためにも、外側からの干渉を防ぐためにも軍事力や治安機関の充実が至上命題となります。といっても、再び第3次世界大戦を戦うような能力を目指しているわけではありませんし、それほど経済力は今のロシアにはありません。ただ、ロシアが国益のためだと考えて始める戦争は常に米国の介入によってエスカレートする可能性を孕んでいます。そこでポスト冷戦型のコンパクトな通常戦力と核抑止力を両にらみで強化しているのです。
——ロシア国内の様子はどうでしょう?
小泉 プーチン大統領の国民受けはいい状態が続いています。理由は強いリーダーだから。ロシア人自身がロシアは放っておくとバラバラになってしまうと考えています。ロシアの面積は冥王星の表面積にも匹敵する1700万平方㌔㍍にも及び、そこに約200もの民族が住んでいます。様々な人種、民族、宗教をまとめるために、強力なリーダーが必要とされてきました。しかし、ロシアは冷戦後、米国に何をされても逆らえない状態となり、大きな屈辱を味わってきました。国内経済も貧しい上に、西側から「民主化しろ」「市場経済化しろ」とお説教を食らう始末です。その中で現れたプーチン大統領は汚職官僚を取り締まったり、企業を再国有化して整え直したり、強い軍隊を再建したりと改革を進めました。加えて、原油の国際価格が高かったことなどから、ロシア国内の経済環境は好転し、モスクワの街並みは落ち着いた欧州の街のようになっていきました。
ロシアが歓迎する日本の医療支援
——ロシアの医療の状況は?
小泉 良くなっています。プーチン大統領は首相から大統領に返り咲いた12年に、11本の「戦略的大統領令」と呼ばれる中期計画を出していますが、その中の1本が医療保険です。心筋梗塞による死者を10万人当たり現在何人のところを何人にしましょう、がんに関してはこれくらいにしますなどと具体的に掲げています。実際に医療予算は増額しているし、病気死亡率は下がっており、目に見える成果といえます。ソ連崩壊後にガタ落ちした平均寿命もかなり戻ってきました。しかし、今は原油安が響き、3年連続の赤字財政。赤字は少なくとも再来年度まで続く見込みです。このまま医療に分厚く出すのは、難しい状況になるでしょう。今のところ福祉予算は死守していますが、以前ほどは国家が面倒を見られなくなることもあり得ます。
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