岡本和久(おかもと・かずひさ)1964年東京都生まれ。90年千葉大学医学部卒業。同年同大学医学部附属病院放射線科勤務。93年篠崎駅前クリニック開設、医療法人社団桐和会を設立し理事長就任。2005年医療法人社団だいだい理事長。07年医療法人社団あおば(後に医療法人社団城東桐和会)理事長。09年社会福祉法人桐和会理事長。14年社会福祉法人春和会理事長。東京さくら病院、川口さくら病院をはじめ、クリニック、特別養護老人ホーム、老人保健施設、グループホーム、病児保育室などを多数運営。
〜病院、診療所、特養、老健、病児保育室などを展開〜
スタートは23年前に開設した駅前診療所だった。町医者として診療に邁進する日々の中から、認知症医療や小児科医療など、新たに取り組むべき分野が現れてきた。必要に応じて施設を増やしていき、現在は、診療所、病院、特別養護老人ホーム、老人保健施設、グループホーム、認可保育園、病児保育室など計42施設へと膨れ上がった。医療・介護・社会福祉を通じて暮らしを支える桐和会グループ。岡本和久代表にこれまでの道のりと今後の展望を伺った。
——桐和会グループでは多くの医療機関や福祉施設を展開しているのですね。
岡本 元々は1993年に東京都江戸川区に診療所を開業したのが最初です。都営新宿線篠崎駅近くにある篠崎駅前クリニックですが、ここで私が1人で診療に当たっていました。そこから次第に増えていって、現在はクリニックが24施設、病院が2施設、特別養護老人ホームが5施設、老人保健施設が2施設、グループホームが2施設、認可保育園が2施設、病児保育室が5施設となっています。これで終わりということではなく、今後もまだ増えていきますし、既に決まっているものもいくつかあります。新たに病院もできますし、乳児院を始めることも決まっています。
——江戸川区と埼玉県川口市周辺に施設が集中しているのは?
岡本 地域内で連携するためです。最初にできたのが篠崎駅前クリニックなので、その周りに新たなクリニックを作り、在宅医療にも取り組んできました。そして、在宅医療の後方支援病院として、東京さくら病院が必要になったというわけです。このように施設が集中すると、自己完結型の地域包括ケアが可能になります。もちろん、他の施設とも連携していますが、スムーズな連携でより良い医療や介護を提供するためには、自分たちで作っていくのが理想だと思っています。
——川口市でも同じですか。
岡本 川口さくら病院は認知症専門病院で、近くに特別養護老人ホームがあります。認知症の病院を作った後、入院は必要としないが、要介護度の高い人たちを対象にした施設が必要だということになり、特別養護老人ホームを作ることにしました。
——グループの職員数は?
岡本 全部合わせると2000人ほどになります。2017年度の新卒採用が130人。施設が増えるため、採用人数も多くなっています。
診察室を最大限に増やした結果の施設増
——施設を増やすきっかけは何だったのですか。
岡本 元々たくさんのクリニックや病院を作ろうと考えていたわけではありません。28歳の時に開業したのですが、それは大学に残るよりも自分を生かせると思ったからです。元々町医者をやりたいという気持ちがあり、それで開業したのが篠崎駅前クリニックです。最初は私だけでやっていましたが、患者さんがどんどん増えて、1人では手が回らなくなってきました。そこで診察室を増やし、大学の後輩などに来てもらったのですが、それでも追い付かず、診察室をさらに増やしました。しばらくすると、それでも手狭になり、もうこれ以上は広げられないという状態になって、初めて新たな施設を作ることを考えました。最近、後輩たちによく言うのですが、「コップの水があふれてから次を考えるのでちょうどいい」というのが私の考えです。あふれる前に次を始めたりすると、中身が薄まってしまいますから。
——新たな分野に取り組んだのは何かきっかけがあったのですか。
岡本 認知症の仕事を始めたのは、自分が診ていた認知症の患者さんが、症状が進行して入院が必要になったのがきっかけでした。その患者さんが入院した病院を見にいったのですが、なんと精神科の閉鎖病棟でした。これにびっくりしまして、認知症の医療を変えられないものだろうかと考えるようになったわけです。それで認知症の病院をやろうと思ったのですが、東京都では精神科の病床数が基準の病床数をオーバーしていて、新しい認知症の専門病院は作れませんでした。都内で作れるのはグループホームということで、まずはグループホームを始めました。認知症の病院を川口市に作ったのは、東京都では駄目でも、埼玉県では作れたからです。そこで、最も東京都寄りの川口市に認知症専門の病院を開設しました。そして、病院と連携させる目的で、特別養護老人ホームを作っていったわけです。行政からも特別養護老人ホームをやってみませんかという話がありました。
小児科医療で先進的な取り組みに挑む
——行政としてもそういった施設が必要だったということですか。
岡本 特に最近の数年でできた施設は、そうですね。建設コストが上がってしまったので、既に決まっていたところが手を引いてしまうケースがあるといいます。それで、やってもらえませんか、という話になるわけです。特別養護老人ホームはそういう形で作ってきました。
——小児科クリニックや病児保育室は?
岡本 中学・高校時代の同級生の小児科医がいるのですが、彼の話を聞いたのがきっかけでした。中学に入学したときに最初に親しくなった友達で、都立水元公園(東京・葛飾区)でよく釣りをした仲なのですが、大学も千葉大で一緒でした。彼は小児科に進み、病児保育室を併設した小児科クリニックをやりたいという希望を持っていました。医療崩壊と言われていた頃です。病児保育室を作れば、小児科の入院はもっと減らせるというのが彼の持論で、それならうちでクリニックを作るから、一緒にやっていこうということになったわけです。それで病児保育室併設の小児科クリニックを作りました。今でこそ病児保育室も珍しくありませんが、東京で最初か2番目だったと思います。前例がないということで、保健所がどういう施設基準にしていいか分からなかったくらいですから。
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