トランプ大統領は、保健福祉(厚生)長官にプロライフ派のトム・プライス氏を起用しました。下院予算委員長を務めていた下院議員のプライス氏は、整形外科医として20年ほどの経験もあり、以前から、オバマ前大統領の「レガシー」である「医療保険制度改革(オバマケア)」反対の急先鋒としても知られていました。また、「避妊薬の使用や中絶の意志による雇用差別をしない」という、女性を保護するワシントンD.C.の法律に議会で反対しました(ワシントンD.C.は特別区であるため、連邦議員が権限をもっています)。これには、トランプ大統領の支持者ですら衝撃を受けています。
そのプライス長官は、「家族計画に関する医療サービスに対する政府の援助をすべて打ち切る」意向です。そうなると、中絶や避妊薬の処方、性病治療などを行っている医療サービスNGO「全米家族計画連盟(Planned Parenthood Federation of America=PPFA)」の援助(年間5億ドル以上)は打ち切りになる可能性があります。このNGOは、今回の大規模デモの中心的スポンサーでもありました。
ある調査によると、PPFAは、2013年6月30日からの1年間で、500万人以上の米国人に医療サービスを提供しています。ただ、多くの米国人は「PPFAは単に中絶サービスをしているだけ」と誤解していますが、中絶サービスを受けた女性はそのうちわずか6%程度にすぎません。しかも、中絶サービスそのものに政府の援助資金を使用することは法律で禁じられているのです。
実際には、PPFAは中絶よりもむしろ検診、出生コントロール、安全な避妊法の教育およびカウンセリング、妊婦のケア、授乳のサポート、妊娠糖尿病スクリーニング、性感染症の予防や治療、不妊症の予防と治療、家庭内暴力のスクリーニングとカウンセリングなど、さまざまな性と生殖に関するサービスを提供しています。これらのサービスは、オバマケアの「予防ケア戦略」の一環なのです。
オバマケアが始まる前は、民間保険の約12%しか妊産婦の保険をカバーしていませんでした。そのため、男性と同じ保険に加入していても、全体では毎年男性より女性の方が約10億ドル多く医療費を支払っていました。ところが、オバマケアのおかげで、年間4700万人もの米国人女性が予防医療ケアサービスを受けられるようになったのです。
【Do We Still Need Planned Parenthood?, Obamacare Facts, July.23, 2015】
【How Donald Trump’s Health Secretary Pick Endangers Women, NYT, Dec.28, 2016】
【ObamaCare and Women: ObamaCare Women’s Health Services, Obamacare Facts】
●まずは貧しい国の女性の援助を断つ
トランプ大統領はオバマケアの全廃を公約の1つに掲げており、就任したその日に全廃を目指す旨の大統領令に署名しています。本来、オバマケアの全廃やPPFAの援助カットを実施するには、そのための法案と撤廃後の代替案が議会で承認されなければならないなど、複雑な手続きが必要です。そこでトランプ政権は、議会の承認なしで決定できる大統領令によって改革を始めていくようです。
そして女性の行進2日後に、「グローバル・ギャグ・ルール(口封じの世界ルール)」と呼ばれる「海外で中絶に関する支援を行うすべての非政府組織への米政府の資金援助を禁止する」大統領令に署名しました。
グローバル・ギャグ・ルールは、1984年にレーガン元大統領(共和党・プロライフ派)が導入し、クリントン元大統領(民主党・プロチョイス派)が1993年に撤廃、さらにブッシュ元大統領(共和党・プロライフ派)が2001年に再開し、オバマ大統領(民主党:プロチョイス派)が2009年に再び撤廃するという経緯をたどってきました。スパイサー大統領報道官は、「トランプ大統領がプロライフ派であることは明らか」と強調しました。
しかし前述した通り、もともと米国の法律は、中絶サービスのための直接的な資金援助を禁止しています。つまり、グローバル・ギャグ・ルールは、中絶サービスをはるかに超えた、避妊や中絶後のケアなど、すべての家族計画サービスを制限することになります。とりわけ貧しい国に住む女性にとって致命的です。
2001年のブッシュ元大統領のグローバル・ギャグ・ルールでは、トランプ大統領よりも規模は小さいものの、開発途上国16カ国が、米国からの避妊薬の輸入の道が閉ざされました。スタンフォード大学の研究者らの報告によると、アフリカにおける避妊薬の使用が減少し、中絶率が高まったそうです。
また、ハーバード大学の研究者らの報告によると、意図しない妊娠のために中絶を選択した女性は世界中で年間約4200万人います。そのうち、ほぼ半分の2000万人の中絶は、安全に行われていません。そして毎年6万8000人の女性が、安全でない中絶で死亡し、妊産婦死亡率の主要な原因の1つになっています(13%)。 さらに、安全でない中絶から生き残った女性のうち500万人が、長期の合併症に苦しんでいるのです。
トランプ大統領のこの政策に対して、世界中の多くの慈善団体や政治家が激怒の声を上げています。
【Trump reverses abortion policy for aid to NGOs, CNN, Jan.24】
【United States aid policy and induced abortion in sub-Saharan Africa, WHO】
【President Trump’s War on Women Begins, NYT, Jan.26】
【Unsafe Abortion: Unnecessary Maternal Mortality, NCBI】
【Netherlands moves on abortion funding after Trump reinstates ‘gag rule’, CNN, Jan.26】
●共和党上院議員が辞職
さまざまな背景の多くの人が一緒に集まり、暴力もなく平和に行われた行進は大成功に終わりました。ただし、トランプ大統領の政策に、この行進は今後どのような意味をもたらすのでしょうか?
歌手であり、社会活動家のハリー・ベラフォンテ氏は、「行進は、民主主義の偉大な武器の1つ」と言います。たしかに、米国の歴史において、行進は人権問題に大きな影響を及ぼしてきました。ベラフォンテ氏は、1963年3月のワシントンでの行進による公民権運動において、重要な役割を果たしました。そしてベラフォンテ氏はまた、今回の女性の行進の共同議長でもあります。
社会運動の歴史を研究するバージニア工科大学のマリアン・モリン准教授によると、これまでに成功した行進の特徴として、象徴的な意味をもち、適切な場所で行われ、様々なグループを魅了して、明確な政策の目標があることなどが挙げられます。ただし、長期的な効果は、参加者が行進後に帰宅してから、行進の興奮がどれだけ維持できるかによるそうです。モリン教授は、今後数カ月見守ると言います。
今回の行進後、ネブラスカ州上院議員ビル・キントナー氏(共和党)が辞職しました。理由は、トランプ大統領の「自分はスターだから簡単にプッシーにさわれる」発言に対する抗議のサインを掲げて行進に参加した3人の中年女性に対して、キントナー氏が「あなたたちは心配ない」とツイートしたためです。キントナー氏は、中年の彼女らには誰も興味を持っていないと揶揄したのです。これには共和党員を含む多くの人々が激怒し、党や州議会で懲戒免職処分の意見も出たほどで、その前に自ら辞職する道を選んだということのようです。
こうしてトランプ政権発足翌日から、女性の行進とともに、「女性の権利を守る」ための新たな闘いが始まりました。私は現場の強烈なエネルギーと一体感から、この行進が歴史的な革命をもたらす可能性が高いと感じています。今後も注視し続け、機会を見て報告していきたいと思います。
【How Marches in Washington Have Shaped America, NYT, Jan.21】
【A lawmaker retweeted an offensive post about the Women’s March. Days later, he resigned, The Washington Post,Jan.25】
LEAVE A REPLY