「大学目薬」のネーミングが成功
国内でも成果を上げている。参天製薬はもともとは明治23年(1890年)に田口謙吉が大阪・北浜で薬種商「田口参天堂」を開業したのが始まりとされている。戦前は風邪薬専門の会社であり、当時、販売していたのは「へブリン丸」という風邪薬だった。
目薬を扱うのは、創業9年後の1899年、当時の日本には眼病が多かったことから売り出したのだが、そのブランド名が「大学目薬」だった。このネーミングは、庶民から権威を感じさせると言われ成功している。
その後は紆余曲折があったが、目薬中心の医薬品メーカーになったのは戦後の1952年で、この頃、「大学ペニシリン目薬」「大学マイシリン目薬」「大学スーパー目薬」など次々に新しい目薬を発売している。
社名を参天製薬に変更した58年にはスイスのロシュから導入した散瞳薬を販売し、日本の眼科医療の進歩に貢献するとともに、眼科領域の医療用医薬品メーカーとしての地位を確立していった。
70年に初の抗生物質製剤「エコリシン点眼液」を開発し、75年には抗炎症点眼薬「フルメトロン」を発売したが、これは87年のタリビッド点眼薬、さらにそれに続くクラビット点眼薬へと発展する。
タリビッドは第一製薬が開発したものだが、導入して抗菌点眼薬として商品化した積極姿勢の結果、眼科領域の医療用医薬品で圧倒的に強い立場を築いた。
95年にはドライアイ(角結膜上皮障害)治療薬「ヒアレイン」を、2010年には「ジクアス」を発売。近年のコンタクトレンズの普及から、日本でも増加しているドライアイの治療薬も開発している。
売上では米アラガンの「レスタシス」に遠く及ばないが、欧米とはドライアイの患者数が大きく違うという事情も考慮すべきだろう。
さらに、失明のリスクが高い緑内障の治療薬の開発にも力を入れている。その第1弾が01年に発売した高眼圧症治療薬「デタントール点眼液」であり、08年に開発した「タプロス点眼薬」、10年に発売した「コソプト点眼液」、14年発売の「タプコム」と続き、これらは欧米市場に切り込む医薬品にもなった。
12年には、ドライアイとともに欧米に患者数が多い加齢黄斑変性に対応する製品として、独バイエルと共同でVEGF阻害剤「アイリーア硝子体内注射液」を開発している。
参天製薬は国内では医療用眼科医薬品で4割のシェアを握り、圧倒的な強さを持つようになった。海外への進出でも米国、欧州、アジアでの販売網を築き、成長している。
今では眼科領域でスイスのノバルティス傘下のアルコン、米ファイザーとの合併がご破算になったアイルランドを拠点にするアラガン、スイスのロシュ、バリアントの子会社ボシュロムに次ぐ世界第5位のメーカーになったのだ。
しかし、これで満足しているわけではない。黒川社長は「世界で認められるような存在のスペシャリティ・カンパニーを目指す」と常々語っている。世界で認められる存在とは「世界で3位以内」という。同社の中期経営計画で目差しているのも3位以内の眼科領域の医薬品メーカーだ。
参天製薬の医療用眼科医薬品は感染症から炎症、ドライアイ、緑内障、加齢黄斑変性までと眼科領域の全てを網羅している。これらの眼薬で、前述の通り国内で4割のシェアを占めるが、世界では買収したメルク製品を加えてもまだまだ10%少々にとどまる。
しかも、参天製薬が早くから力を入れてきた欧州は低成長に加えて費用対効果が重視され、価格に対して厳しい。今後、同社が3位以内に入るのは容易ではない。
ただ、ドライアイと緑内障、加齢黄斑変性に対してはニーズが高い。
参天製薬は旭硝子と共同開発した緑内障点眼薬のタプロス点眼薬やコソプト配合点眼薬を欧州で展開しているのに続き、メルクから導入し開発中の「DE—090(ロメリジン塩酸塩錠)」や「DE—111(タフルプロスト配合剤)」に期待している。
ドライアイには、メルク製品とアイケルビスを用意し、加齢黄斑変性にはアイリーアの伸長が頼りだ。
「米国市場は実質的に撤退」との見方も
参天製薬が持つ導入、共同研究など開発中のパイプラインは多い。研究開発費に投下する資金も、売上比で医薬品メーカー各社の中でも多い。力を入れるパイプラインの開発が実を結べば、欧州でかなりの存在感を示せる。
しかし、失敗はしたものの、ベンチャーのアキュセラが挑んだ加齢黄斑変性の治療薬候補だった「エミクススタト塩酸塩」のような期待の大きい新薬候補が見当たらないのは寂しい。
さらに、世界に認められる眼科医薬品メーカーになるために求められるものは、米国市場での認知度と販売だ。
実は、参天製薬は2000年に災難を蒙っている。一つは、「目薬に異物を混入する」と2000万円を要求された企業脅迫事件に見舞われたことである。
もう一つは、米国での販売が伸びず、苦戦をしたこと。アナリストの中には「実質的な撤退に追い込まれた」と言う人もいるほどだ。
脅迫事件には、参天製薬はいち早く市販の目薬24品目、250万個の全品を回収し、包装を破るとすぐに分かる混入防止包装に替えて危機を乗り越えた。
しかし、米国市場での販売苦戦の改善はそう簡単ではなかった。米医療機器メーカーの買収と現地法人の強化、新薬開発を米国中心に進めることなどで米国市場に食い込みを図るが、眼科領域で3位以内に入るためにはアメリカ市場に根付くことが最低必要条件となろう。
それに加え、アナリストからは「欧米、アジアへの進出を果たすための優秀な人材確保が間に合わない状況にある」と指摘されている。
人材育成は同社が「存在感のあるスペシャリティ」を目差す上で喫緊の課題となっている。
LEAVE A REPLY