制度改革を行ってこその「働き方改革」のはず
「大好きで、大切な母さんさようならありがとう」。そんな一言を最愛の母に残し、24歳の娘は社宅から飛び降り自殺した。昨年12月のクリスマスのことである。
大手広告会社「電通」の新入社員、高橋まつりさんが過労自殺した問題が、広がりを見せている。希望に満ちて一流企業に就職した東大卒の女性が入社からわずか9カ月で命を絶つ労働環境に情状の余地はない が、まつりさんがツイッターに多くの〝遺書〟を残していたこと、芸能人のような美女であったことから事件に注目度が高まったのも事実。勤務先は電通という日本を代表する大企業で、インターネット上では「大手企業バッシング」にもつながった。今や日本の過重労働によって殺された「アイコン(象徴)」となったまつりさん事件は、日本の労働環境を変えるのだろうか。
24歳の悲痛なメッセージが初めて明るみに出たのは10月7日のこと。まつりさんの母、幸美さんが弁護士と共に厚生労働省の記者クラブで会見を開いたのだ。当日、会見を取材した記者によると、事前に分かっていたのは大手企業社員の過労死認定について遺族が会見するというだけで、電通という会社名は会見で初めて明かされたのだという。
女手ひとつで育てた愛娘を失った母の悲しみは当然、過労死と認定されたからといって軽くなるものではない。娘の写真を掲げながら、涙ながらに電通の異常な勤務状況を語る母の姿は多くのテレビで報道され、世間の同情を喚起した。
長時間労働に加えパワハラ、セクハラ
それにしても、まつりさんが自殺に追い込まれるまでの勤務状況は過酷の一言に尽きる。膨大な仕事量による長時間労働は当然のこと、弁護士らによると、体育会系の企業にありがちな飲み会の参加強要、パワハラ、セクハラもあったという。残されたツイッターの投稿や母親の発言から再現してみると……。
「休日返上で作った資料をボロくそに言われた もう体も心もズタズタだ」(10月13日)
「死にたいと思いながらこんなストレスフルな毎日を乗り越えた先に何が残るんだろうか」(12月16日)
「男性上司から女子力がないと言われるの、笑いを取るためのいじりだとしても我慢の限界である」(12月20日)
「本採用になった10月には『今週10時間しか寝ていない』『休職するか退職するか自分で決めるのでお母さんも口出ししないでね』と話していました」(母の幸美さん)
仕事が大変だったというよりも、人間関係などを含めた職場環境が過酷だった様子がうかがえる。もちろん、まつりさんの勤務が長時間に及んでいたことは間違いなく、三田労働基準監督署(東京)が今年9月に認定した残業は過労死ラインとされる「80時間」を超える月約105時間。弁護士側が入退館記録を基に集計した残業は、10月が130時間、11月が99時間となっていた。
こうした現状を、労働行政を司る厚労省も放っておかなかった。
「10月14日には、東京労働局の過重労働撲滅特別対策班(通称・かとく)が従業員の労働実態を調べるため、労働基準法に基づき、電通に抜き打ちの立ち入り調査を行った。母親の会見から1週間という猛スピードです」(厚労省担当記者)。
担当記者によると、「かとく」は全国にまたがって複数の営業所があるなど、単独の労基署で扱うのは難しい大手企業などを扱ういわば東京地検特捜部のような部署だという。案の定、かとくと各地の労働局は電通の中部支社(名古屋市中区)、関西支社(大阪市北区)、京都支社(京都市下京区)の各支社や関連会社にも立ち入り。11月7日には任意の捜査から強制捜査に切り替え、改めて東京本社などを家宅捜索した。
電通は1991年にも入社2年目の男性社員(当時24歳)が過労の末に自殺している。まつりさんもこの事件を知っていたとみられ、亡くなる1ヶ月ほど前には、当時の過労自殺の記事を母親に見せ、「こうなりそう」と言ったという。労働局は25年前からまるで変わっていない企業体質を問題視。さらに、電通が組織的に社員に残業時間を少なく申告させていた疑いがあるとみている。
実際に、自己申告に基づく会社の記録ではまつりさんの残業時間は労使協定の上限をぎりぎり下回っていた。弁護士らは「過少申告の指示があった」と主張しており、まつりさんに限らず全国で30人以上の社員にこうした過少申告の疑いがあったとされる。電通本社はまつりさんが亡くなる4カ月前に東京労働局の立ち入りを受けており、社員に対して残業時間を少なくするよう指示していた可能性がある。
厚労省「強硬姿勢」の背後にある思惑
悪質な過重労働の代表格となった感のある電通だが、ここまでの当局の動きも素早く、異例ともいえる強硬な姿勢だ。ある全国紙記者は「これは国策捜査と言えなくもない。いわゆる狙い打ちです」と明かす。「働き方改革を進める安倍政権にとって、電通という日本のトップ企業を強制捜査して、労働環境の改善に取り組ませることは都合が良かったはずだ」(同)。
安倍晋三首相が長時間労働の是正や同一労働同一賃金の実現などに向けた「働き方改革実現会議」の初会合を開いたのは9月末のこと。ただでさえ、臨時国会では高収入の専門職を労働時間の規制対象から外す制度の創設を含む「労働基準法改正案」が、民進党などから「残業代ゼロ法案」と攻撃の的になっている。労働時間に上限がなくなれば、いくらでも働かせることが可能になるとして、この法案は「経済界べったり」「ブラック企業を利するだけ」と評判が悪い。「大手企業の電通を狙い打ちにすることで、長時間残業に厳しい政権の姿勢をアピールすることができる」(全国紙記者)との見方は的外れではないだろう。
労働問題に詳しい関西地方の弁護士は言う。「モーレツ社員が重宝された高度成長期が終わり長い不況に突入しても、過重労働により苦しむ労働者は決して減っていない。むしろ若い世代や女性労働者などに広がりを見せている」
まつりさんの過労死はまさに、現代の労働環境を象徴する死だったのだ。この弁護士は、過労死を防ぐには、実態として上限なく残業させることが可能な「36(サブロク)協定」の改革や、勤務と勤務の間に一定の時間を挟まないといけない「インターバル制度」の導入が必要だと話す。政府は電通を狙い打ちにするだけでなく、こうした制度改革を行ってこその「働き方改革」のはずだ。
まつりさんの母は訴える。「伝統ある企業の方針は、一朝一夕に変えられるものではありません。しかし、政府には、国民の命を犠牲にした経済成長第一主義ではなく、国民の大切な命を守る日本に変えてくれることを強く望みます」
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