帯津良一(おびつ・りょういち)帯津三敬病院名誉院長
1936年埼玉県生まれ。61年東京大学医学部卒業。東京大学附属病院第三外科、都立駒込病院外科医長などを経て、82年帯津三敬病院を設立し、院長に就任。2001年より名誉院長。97〜2015年日本ホリスティック医学協会会長。00年より日本ホメオパシー医学会理事長。『ホリスティック医学入門』『自然治癒力』『健康問答』など共著・単著多数。
〜ホリスティック医学の実践から、さらにその先へ〜
体だけを診るのではなく、「体・心・命」を含む人間丸ごとを診るのがホリスティック医学の特徴だという。これを臨床に生かしてきた帯津良一氏は、かつては東大病院や都立駒込病院で、がんの外科治療に明け暮れていた。なぜ、最先端の現代医学からホリスティック医学に進むことになったのか。また、それに取り組むことで、何が見えてきたのか。ホリスティック医学の新たなステージを目指すという帯津氏に話を聞いた。
——もともと外科医だったのですか。
帯津 東大の第三外科で食道がんの手術をやっていました。この手術とは腹と胸と首を開けるので、大がかりな手術になります。私が外科医になった今から50年余り前は大変でした。手術時間は長くかかるし、集中治療室なんかない時代ですから、大部屋の片隅で酸素テントを張って、術後の管理をします。若手の我々は下働きで苦労しました。私が都立駒込病院に移ったのは、それから10年以上たった1975年です。それまでは伝染病専門の病院だったのですが、建物も新しくなって、東京都のがんセンター的な役割を担って再出発することになり、そこに呼ばれたのです。その頃には、手術も非常にスマートになっていました。5〜6時間で終わるようになっていましたし、出血も減って、場合によっては輸血なしで済むこともあります。それに、新しい駒込病院には日本一の集中治療室がありました。そうした恵まれた環境を得て、意気軒高として手術に明け暮れていたわけです。
ホリスティック医学を採り入れる
——当時のがん医療の最先端にいたのですね。
帯津 まさにそうなのです。しかし、これでいいのだろうかと思うようになっていきました。再発して戻ってくる患者さんが、以前と変わらないくらいの数いたからです。いくら手術が進歩しても、術前の検査や術後の管理が進歩しても、このままでは限界がある。自分たちがやっている西洋医学には、届かないことがあるのだと実感しました。西洋医学は局所を診ることは得意ですが、周囲との関係や、丸ごとの人間には関心がありません。そこに限界があると考えました。それなら、周囲とのつながりを重視し、人間全体とのつながりを重視する医学を組み合わせるといい。それが中国医学です。私はすぐに中国に行ってみることにしました。
——都立駒込病院にいた時代に?
帯津 そうです。東京と北京は姉妹都市になっていましたから、東京都衛生局にお願いして、中国に視察に行ったのです。北京と上海の主ながん治療施設を見てきました。それで、中国医学と西洋医学を合わせる中西医結合が必要だと確信し、それを始めようとしたのですが、なかなかうまくいきませんでした。都立駒込病院という大きな組織の中で、新しいことを始めるというのは大変でした。誰がいけないということはないのですが、とにかく中西医結合はうまくいきませんでした。それで、自分で病院を作ろうということになったわけです。帯津三敬病院(埼玉県川越市)の設立は1982年です。
——まず中西医結合を始めたのですか。
帯津 そうです。中西医結合によるがん治療を旗印に診療を始めました。そのうちアメリカからホリスティック医学が入ってきたのですが、それに関心を持った東京医大の若手医師たちが声を掛けてくれて、一緒に日本ホリスティック医学協会を作りました。1987年のことです。がんという病気は、体だけの病気ではなく、心や命が深く関わっています。そのため中西医結合でもまだ足りず、もっと心や命の問題に深く入っていく必要を感じていました。こうして、ホリスティック医学に突き進んで行くことになったのです。
——ホリスティック医学とはどんな医学ですか。
帯津 1960年代にアメリカの西海岸で誕生した医学です。西洋医学があまりにも局所の医学に傾いていった、そのことに対する反省や批判から生まれたと言われています。ホリスティックは、「全体」を意味するギリシャ語を語源としていて、体の部分を診るのではなく、人間を丸ごと診る医学です。英語圏では、ボディー・マインド・スピリットと言っています。体・心・命ですね。これを丸ごととらえる医学だとされています。
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