ロイヤルティー収入が好業績支えるも
他社に巨額の利益もたらす皮肉
今、最も勢いのある製薬会社といえば、小野薬品工業と塩野義製薬である。小野薬品は言うまでもなく、抗がん剤「オプジーボ(一般名はニボルマブ)」を持つからだ。一方、塩野義製薬は高脂血症治療薬「クレストール」を筆頭に高血圧症治療薬や抗うつおよび疼痛治療薬が好調な上、HIV(ヒト免疫不全ウイルス)治療薬がヒットしているからだ。
塩野義製薬は、かつては製薬会社に就職を希望する学生に「武田か塩野義か」と呼ばれた名門である。年配の人なら鎮痛剤「セデス」とビタミン剤「ポポンS」の製薬会社としておなじみだろう。その塩野義製薬が抗生物質にこだわり過ぎたため、時流に乗り遅れて凋落。合併ブームからも取り残されて中堅製薬メーカーに数えられていた。
ところが、今年3月の決算では売り上げが3100億円、経常利益は1009億円に達し、4期連続で過去最高を更新。2017年3月期決算も増収増益が見込まれている。中堅製薬会社に落ちぶれていた過去から見れば、隔世の感がある。だが、好調の時こそ、実は頂点で後は下り坂という例も多い。
名門ゆえに時流に乗り遅れる
製薬業界では、たった一つの医薬品が会社の興隆をもたらすことが多い。エーザイではアルツハイマー治療薬「アリセプト」がそうだし、小野薬品もオプジーボを開発しなければ、単なる中堅製薬会社にすぎなかった。経営者にとって、画期的な医薬品に巡り合える運に恵まれるかどうかは重要だ。武田薬品工業などは武田國男元社長が「国際戦略4品目」と呼んだ糖尿病治療薬「アクトス」、高血圧治療薬「ブロプレス」、消化性潰瘍治療薬「タケプロン」、前立腺がん・子宮内膜症治療薬「リュ—プリン」というブロックバスターを四つも持てた強運で不動の国内トップメーカーの地位を保った。
塩野義製薬で創業家一族の塩野元三前社長からバトンを受け継いだ手代木功社長も、クレストールの大化けと立ち会えた「強運」の人といえる。
塩野義製薬は、明治11年(1878年)に塩野義三郎が大阪・道修町に薬種問屋「塩野義三郎商店」を開いたのが創業といわれる。じきに和漢薬から洋薬に切り替えて成功した老舗である。
戦後はセデス、ポポンSを売り出す一方、軽快なリズムと落ち着いた歌詞のCMソングを折り込むテレビ番組「シオノギ・ミュージックフェア」を提供して好感を持たれた。
さらに、好感だけでなく、同社は医薬品でも抗生物質に強い製薬会社だった。戦後はペニシリンの製造から始まる抗生物質全盛の時代だったから、武田薬品と並ぶ大手製薬会社の地位を占めていたのだ。
だが、世界の新薬開発の流れは抗生物質から慢性病治療薬、さらに抗がん剤へと変わる。抗生物質に注力していたほとんどの日本の製薬会社が出遅れたが、特に抗生物質に強かった塩野義製薬は世の中の流れに乗り遅れ、結果、苦境に陥り、名門ゆえ、合併の流れからも取り残された。
唯一の合併話は武田薬品との間で起こったものである。実は前出の國男氏は、武田家の長男でなかったことから早くから後継ぎと見なされず、少年時代は遊び歩き、道修町の口の悪い人たちから「悪童」などと陰口をきかれていたが、そのとき親しくしていた友人が塩野義製薬の塩野孝太郎元社長だった。長兄の急死で社長に就任した國男氏は昔の友情から、低迷する塩野義製薬との合併を考えたことがあったのだが、社内の反対が強く、合併を断念したといわれている。
塩野義製薬では孝太郎氏の後、社長には前出の元三氏が就任し、さらに創業家ではない手代木氏に代わる。名門ゆえに合併の嵐の中でどこからも相手にされなくなった元三社長は、医療用医薬品開発に生き残りを賭けた。
先述したように、製薬事業は一つの革新的な医薬品が生まれると、状況が変わる。6兆円の資金を動かすアメリカ最大の投資ファンド「ゲインキャピタル」の幹部が「不動産と製薬業、ファッションには手を出さない。不動産は金額だけが巨額、ファッションは人気に頼る虚業、医薬品は万に一つのバクチだからだ」と語ったが、まさに一剤が会社の苦境を救うことが多々ある。
塩野義製薬ではクレストールがその一剤だ。クレストールの大化けが多大な利益をもたらし、同社をよみがえらせた。
さらに、クレストールに続いて、高血圧症治療薬「イルべタン」、抗うつ及び疼痛治療薬「サインバルタ」などの新薬がヒット。同社は「戦略8品目」と呼んでいるが、クレストールを中心にした八つの新薬が売り上げの6割を超え業績を支えている。
加えて、生き残りを賭けた医薬品開発のおかげで、オリジナルのパイプライン(新薬候補)が豊富になり、今では多くの製薬会社がパイプライン確保に四苦八苦している中で攻守逆転、塩野義製薬が浮上したわけだ。
新薬8品目が次々と特許切れに
しかし、製薬事業は常に安泰ではない。塩野義製薬にはクレストールのパテントクリフ(特許切れ)という、屋台骨を揺さぶる事態が立ちふさがる。クレストールだけではなく、17年以降、戦略8品目が次々と特許切れを迎える。
だが、手代木氏の手腕なのか、それとも幸運の女神がほほ笑んだのか、心血を注いだパイプラインが生き、危機を乗り切る算段が立ってきている。英グラクソ・スミスクライン(GSK)と共同開発したHIV治療薬「テビケイ」と配合剤「トリーメク」が海外で爆発的にヒットし、クレストールのパテントクリフによる落ち込みを補えそうなのだ。
テビケイは塩野義製薬とGSKとの共同開発だったが、手代木社長はGSKとの提携を解消した。GSKと米ファイザーが設立した合弁会社「ヴィーブヘルスケア」にテビケイの権利を譲渡し、代わりにヴィーブ社の10%の株式を取得。ヴィーブ社からロイヤルティーと配当を受け取る仕組みに変えた。
テビケイは15年度にグローバルで2300億円も売れ、塩野義製薬に入るロイヤルティー収入は405億円に上った。海外販売網が弱い上、エイズ患者が海外に多いことから無難な方法を選んだものだが、二度の海外駐在経験をもつ手代木社長ならでは選択だ。
今年度、テビケイとトリーメクの売り上げは全世界で30億㌦(約3000億円)を超えると予想されている。一方、クレストールの15年度のロイヤルティー収入は円安効果もあって476億円だから、ほぼ穴埋めした格好だ。
このテビケイとトリーメクの成功で塩野義製薬にはもう一つのHIV治療薬にも期待が出てきた。ヴィーブ社に導出し、米国でフェーズⅡのHIV治療及び予防薬として開発中の「カボテグラビル」だが、これもヒットする可能性が現実味を増してきた。
加えて、手代木社長はアストラゼネカ(AZ)とのクレストールに関する提携の契約更改交渉でも成功を収めた。契約更改はロイヤルティーの引き下げを要求されたものだが、手代木社長はロイヤルティーの引き下げを受け入れる代わりに16年末で切れる契約期限を23年まで7年間延長する内容でまとめた。手代木社長は製薬業界の中でも紳士として通っている。その分、線が細いのでは、とみられていたが、海外駐在経験が豊富なため、日本人の苦手とする国際交渉の術を知っていたのだろうと高く評価されている。
塩野義製薬にはさらに、期待されている開発中の薬がある。一つは同社オリジナルのインフルエンザ治療薬「S‐033188」だ。国内フェーズⅡが終わり、良好な結果を得られたことからフェーズⅢに入るが、医薬品医療機器総合機構(PMDA)から「先駆け審査指定制度」の対象品目に指定された上、スイスのロシュが目を付け、共同開発契約がまとまった。ロシュは「タミフル」を擁し、インフルエンザ治療薬に対する経験と知見を持っているだけに期待は大きい。
もう一つ見逃せないのは、セフェム系抗生物質の「S‐649266」だ。今、グローバル・フェーズⅡ・Ⅲの段階だが、この抗生物質は多剤耐性グラム陰性菌感染症治療薬である。日本では騒ぎになっていないが、世界的に多剤耐性菌が大問題になっている。50年には毎年1000万人が多剤耐性菌感染で死ぬという予測もあり、世界保健機構(WHO)では正しい抗生物質の使用法や予防の改善、新規抗生物質の開発、開発した製薬会社への償還金付与などのアクションプランを計画中なのである。
本来、抗生物質なら日本のお家芸のはずだったが、慢性病の治療薬開発にシフトしてしまったため、おいそれと元に戻れない。そんな中での新規多剤耐性菌感染症治療薬である。
手代木社長は国際製薬団体連合会の副会長に就任したばかりだ。新規抗生物質開発が世に出れば、手代木氏と塩野義製薬は世界から高く評価されるだろう。第一、国際的な大ヒット商品になる可能性も秘めている。
海外展開の遅れが最大の弱点
だが、いいことずくめのような塩野義製薬にも落とし穴がある。最大の弱点は海外戦略だ。海外に導出したことで、同社には多額のロイヤルティーが入ってきた。同社のロイヤルティー収入は16年3月期で前期比67・8%増の1018億円に上っている。売り上げが3100億円で、経常利益が1009億円に達しているのは、経費のかからないロイヤルティー収入が1018億円もあるからだ。
この巨額のロイヤルティー収入が塩野義製薬の好業績を支えているのだが、逆にこれこそが最大の弱点である。導出先の製薬会社はその数倍の利益を得ているからだ。もし自社で海外販売していたら、同社の売り上げは倍増していただろう。
遅まきながら、手代木社長は欧米への進出に力を入れだしている。その第一歩が閉経後膣萎縮症治療薬「オスフィーナ」だ。だが、クレストール並みのヒット商品になるかは疑問だ。手代木社長は「S‐649266」に期待しているが、海外販売網を構築しないと、グローバルなメガ・ファーマになれず、低化合物の新薬に強いだけの「ドメスティック・ファーマ」で終わりかねない。
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