「がんサバイバーへの偏見」にどのような政策が必要か
日本人の2人に1人ががんになる時代。検診技術の発達により早期で発見できたり、薬や治療法の進歩によって寛解状態になったり、がんを取り巻く状況は日進月歩だ。当然、がんを克服した「がんサバイバー」も増え、東京都知事選挙では、がんサバイバーである鳥越俊太郎氏に対する「病み上がり」発言も物議をかもした。がんが「死ぬ病」でなくなったいま、働く世代のがん患者が直面するのは就労などの新たな問題。社会の理解を進めるため、鳥越氏のようなサバイバーが発言をしていくことはとても大切なことだ。
「がんサバイバーに対するね。大変な差別ですよ。偏見ですよ」
都知事選序盤の7月19日、フジテレビ系情報バラエティー番組「バイキング」でそうかみついたのは、候補者の一人である鳥越氏だった。鳥越氏の怒りの矛先は、2日前の街頭演説で「病み上がりの人をただただ連れてくればいいというものではないんです」と発言して鳥越氏を批判した小池百合子・現知事だった。
「もし言っていたのであれば、失礼なことを申し上げて恐縮だと思います」と流した小池氏に対して、鳥越氏の怒りはさらにヒートアップ。
「これは僕個人に対する問題じゃないんですよ」「がんサバイバーはね。何十万、何百万といるんですよ。東京都だって。家族もいますよ。そういう人たちに1回がんになったらあなたはもう何もできないんだ、というふうに決め付けるのはね」「病み上がりというレッテルを貼って差別をする。がんサバイバーは何もできないというようなイメージを与える」
個人攻撃が半ば当たり前の選挙戦において、鳥越氏のこの怒りはいささか過剰と思えなくもないが、都↖知事選で鳥越氏の取材をした全国紙記者はこう分析している。
「鳥越氏は急ごしらえの公約に、がん検診の受診率を100%にすることを盛り込んだ。自身の度重なるがん体験から、がん対策に並々ならぬ思いがあったんでしょう。都知事選の公約としては的外れな気もしますが、がんは多くの人の関心事ですし、医療など社会保障も大きな政治課題ですから、全く外れているとも言えません」
鳥越氏ががん検診やがんサバイバーについて発言したのは、都知事選の時が初めてではない。「がんの患者会の役員を務めたり自身のがん体験を講演したりと、鳥越氏はここ数年、がんと関わりの深い仕事をすることが多かった。淫行疑惑が報じられるなど出馬によって鳥越氏の経歴に箔が付いたか傷が付いたかは分からないが、あらためてがんという問題に関心を持たせたことは良かったと思う」(前述の記者)。
海外はがん患者全てががんサバイバー
なお、がんサバイバーと一口に言っても、それは「がんが治った人」だけを指す言葉ではないという。
都内の腫瘍内科医は「再発や転移を繰り返すのががんという病気の厄介なところ。一般的には5年間再発がなければ治った、とされますが、ゆっくり再発することもあり、どの時点で生き残った(サバイブ)と言えるかは難しい」と話す。この医師によると、海外では「がんサバイバー」というのは、がんと診断された全ての患者に対して使われる総称になっているという。
「全くがんの影響なく生活できている人もいれば、治療を長年続けながら生活している人もいる。一口にがんサバイバーといっても、状況や状態はさまざまです」(同)。
気になるのは、インターネットを中心とした反応の中に「がんサバイバーに都知事は無理だろう」と決め付ける論調が多くみられたことだ。
この点はどうなのか。前述の医師は「がんサバイバーが都知事になるのは無理、とは言い切れない」と話す。実際に鳥越氏は、7月の出馬会見で「僕は大腸がんから始まって、肺、肝臓と4回も手術し、大腸がんはステージ4でした。しかし、大腸がんからもう11年、最後の肝臓の手術から7年経っています。今が人生で一番健康といえるくらい、健康には気を遣っています」と体力に自信を見せた。
抗がん剤や手術など治療により体力が落ちることはあるが、鳥越氏はジムで体を鍛えているといい、現在の体力に、治療の影響はほとんどないのだろう。「鳥越氏の場合は、がんサバイバーというよりも、76歳という年齢が体力的なマイナスイメージに働いたと思います」とこの医師は苦笑する。
働く環境が整っていない現実
賛否はあれど、鳥越氏が都知事選に立候補したことで投げ掛けた課題は多い。40代の医療ジャーナリストは「選挙なので誹謗中傷につながってしまうのは致し方ない」と前置きした上で、「鳥越氏に都知事職が務まるかどうかは別として、がんと診断されると今までの生活はできない、働けない、チャレンジできないと思ってしまう人は多い。今回もそうした誤解が大勢を占めていたが、それは大間違いです」と断言する。
だが、がんサバイバーが働く環境は整っていないようだ。内閣府が昨年1月に公表したがんに対する意識調査では、「現在の日本社会は治療と仕事が両立できる環境である」と考える人は3割近くにとどまり、約66%が「環境が整っていない」と答えた。
この調査は面接で行われ、設問も「治療などのため2週間に1度程度、通院しながら働く環境が日本社会で整っているか」と具体的だ。両立が難しい理由として回答者が挙げたのは、「代わりに仕事をする人がいない、いても頼みにくい」(23%)、「職場が休むことを許してくれるかわからない」(22%)という職場の都合。一方で、「体力的に困難」(18%)、「精神的に困難」(13%)など、患者側の都合によるものもあった。
厚生労働省によると、がんの治療をしながら働く人は約33万人いると推定されている。しかし、病気というプライバシー性の高い情報であることもあり、詳しい治療や体調について職場内で情報を共有することは難しく、それゆえに配慮が難しかったり、本人も配慮を願い出るのをためらったりする。
厚労省研究班の調査では、がんと診断されたときに仕事を持っていた患者の3割が、仕事を辞めていた。多くはがんと診断されてすぐに辞めており、「職場に迷惑をかけたくない」との思いが強かったと推察される。
がん専門病院の30代の医師は、「がんであることを患者に告げるとき、医者はつい今後どういう治療を行っていくか、どういう経過をたどるか、医療面を中心に話してしまう」と課題を挙げる。「もちろん治療についてきちんと伝えることは重要だが、その治療が仕事と両立できること、いま仕事があるならそれを続けて、治療費や治療後の生活費、再発に備えたある程度のお金をためる必要があることなどを、同時に患者に伝
えなくてはいけないと考えている」(同)。
若い人と高齢者で異なる優先順位
患者の側からも同様の声が上がる。患者会で活動する肺がんサバイバーの男性は「今はネットで情報も得られるし、患者会などの設立や活動が活発になってきている。多くのがんサバイバーが仕事は辞めるなと発言しているが、それでも職場から退職勧奨をされ、そのまま辞めてしまう患者は多い」と話す。患者会に相談があれば、仕事を続けるようアドバイスできるが、そうした会につながる時点では、すでに仕事を辞めてしまっている患者もいるという。
「がんになったら終わり、ではない。むしろがんは、すぐに死ぬ病気ではない。治療や治癒後の経過もさまざまで、長い目で見ながら付き合っていくことが必要だ」と男性は実感を込めてそう話す。
日本でがんが増えているのは、がんになりやすい高齢人口が増えているからだが、がんの中には乳がんなど若くしてかかるものもある。就労の問題もそうだが、こうした若い世代のがん患者が直面するのが、家族、特に子供にどう話すかという問題だ。小さい子供の場合は理解できないだろうと考えて、内緒にすることも多いだろうが、こうした考え方にも変化が現れている。
がんになった親を持つ子供を支えるNPO法人「Hope Tree」が制作に協力した「わたしだって知りたい!」という冊子では、がんと診断されたらなるべく子供に知らせること、子供の成長に応じた伝え方があることなどを分かりやすく解説している。親ががんになったのは誰のせいでもないこと、がんは伝染しないことなどを分かりやすく伝え、子供の不安を取り除くことが重要だという。
一方、がん患者の約6割を占める65歳以上では、対応は若い患者とは異なる。例えば、鳥越氏が最初にがんと診断されたのは11年前、65歳のときだったが、60代になると、鳥越氏のように働いている人と、働いていない人がいる。
さらに高齢になれば、糖尿病や高血圧などの生活習慣病を患っている人が増え、体力の衰えも進むため、治療についてもなるべく体の負担が少ない方法が優先されがちだ。認知症を患っている患者もおり、本人が治療を理解できない場合にどのような治療を行うかは慎重に判断される。「治す」ことが最優先の若い人のがんとは異なり、高齢者では、患者本人の生活の質を保つことが重視されるのだ。
都内の大学病院で胃がんを専門にみる医師は「高齢者は健康状態に個人差が大きい。だから、80歳を過ぎていても、状態が良くて適応があると判断すれば、手術で胃がんを切除することもある。一概に年齢によって治療が変わるとは言えない」と強調するが、最近は年3500万円かかるとされるがん治療薬「オプジーボ」など高額な薬剤が出ていて、使用には何らかのルールが必要ではないかとの声も出ている。この問題で積極的に発言している日赤医療センターの國頭英夫医師は「100歳の患者を年間3500万円かけて10
1歳にするのか」との問いを社会に投げ掛けた。
がんにもステージ(進行度)があるように、人生にもステージ(段階)がある。そのさまざまなステージで、がんサバイバーの最適な選択は変わってくるし、社会はもっとそれを理解しなければならない。
国会では、がん患者の就労について企業に踏み込んだ内容を求める「がん対策基本法」改正案提出の動きが進む。がんサバイバーの視点は今後、ますます重要になるだろう。鳥越氏は自身を「病み上がり」扱いされてただ憤るだけではなく、「がんサバイバーへの偏見」に対して知事としてどのような政策を進めていきたいかを語るべきだった。
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