1953年愛知県生まれ。80年東北大学医学部卒業。2001年同大学医学部第2外科助教授、03年同大学先進医工学研究機構教授、07年同大学未来医工学治療開発センター教授、12年同大学病院臨床研究推進センター教授などを経て、14年から四谷メディカルキューブ院長。日本内視鏡外科学会会長などを歴任。著書•共著書に『内視鏡下縫合・結紮手技トレーニング』『最新の内視鏡手術がわかる本—早期発見・早期社会復帰ができる』『内視鏡外科における縫合・結紮法—トレーニングからアドバンスト・テクニックへ』など。
その名が示す通り、JR四ツ谷駅近くに構える四谷メディカルキューブは、患者に対しては最新の医療を提供しつつ、現場で若手医師たちを鍛える場でもある。全国から優秀な医師を招き、その評判を聞いて学びたいと思う医師たちが集まってくる。19床の規模ながら、年間の手術件数は3000件に達する。黒川良望院長に医療サービスの特徴と経営のポイントについて聞いた。
◆黒川院長は日本における内視鏡手術のパイオニアの1人ですが、まず内視鏡との出会いについて伺います。
黒川 日本に内視鏡手術が入ってきたのは、1990年ごろのことです。それまでの外科手術といえば、腹部や胸部を開いて、手で臓器を触りながら処置を行うというスタイルでした。大きな傷が残ることは避けられません。これに対して、内視鏡手術なら小さな傷で済み、患者の負担も少ない。ただ、従来の手術とは全く異なる手法なので、医師が内視鏡手術を行うためには新たに教育を受ける必要があります。医療に限りませんが、それまでに学んだことを一度リセットして、新しい手法に挑戦しようと手を挙げるのは若い人たちです。当時30代後半だった私も、その1人でした。
◆2005年に開院した四谷メディカルキューブ(以下、YMC)には、当初から参画したのですか。
黒川 当初は非常勤の副院長として参加し、東北大学での勤務を続けながら週に1回通っていました。そして、2014年に大学を退職し、院長に就任したのです。
内視鏡手術の可能性と普及を図る
◆東北大学の教員からYMCに関わるようになった経緯をお話しください。
黒川 大学で内視鏡手術に取り組む中で、感じたことが二つあります。第1に、確かに術後の傷は小さくなりますが、やっていることは以前と大きく変わっていないのではないかという思いがありました。そんな意識を共有する仲間たちと議論を重ねて気付いたのは、患者への負担が小さいからこそ可能な手術があるということ。例えば、肺の組織が壊れていく肺気腫という病気では、肺の一部が空洞になるケースがあります。もともと肺の機能が低下している患者については、手術そのものが呼吸機能に悪影響を与える懸念があり、手術という選択肢がありませんでした。しかし、内視鏡手術ならそれが可能です。私は米国の医療機関で学び、帰国後に大学で日本初の胸腔鏡下肺部分切除術を手掛けました。第2に、内視鏡手術の普及を図るには、これまでとは異なる教育システムが必要ではないかという思いです。欧米では臨床の場で教育を受けられるシステム、拠点となる医療機関がありますが、同じような仕組みが日本で整っているとはいえません。そのような医療施設が日本にも必要との思いを募らせていた時、2000年前後に新しい施設をつくるというプロジェクトに出会ったのです。それが、現在のYMCでした。当時から、内視鏡手術をメインに教育機能を持ち、同時に最先端の画像診断に取り組む医療施設をつくりたいと考えていました。
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