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独立行政法人化で自治体病院を立て直す

独立行政法人化で自治体病院を立て直す
独立行法人化自治病院を立て直す 自己経営の効率とスピード化を実現〜

中島豊爾 全国地方独立行政法人病院協議会会長、 岡山県精神科医療センター理事長・名誉院長

岡山県精神科医療センターは、2007年に独立行政法人化して以降、経営の効率化に取り組み、大きな成果を残してきた。理事長で、全国地方独立行政法人病院協議会の初代会長を務める中島豊爾氏に、独法化で自治体病院に何がもたらされるのかを語ってもらった。また、氏が専門としてきた精神科医療における最近の問題点や、熊本地震で活躍したDPAT(災害派遣精神医療チーム)についても話を聞いた。

——熊本地震ではDPATが活躍したそうですが、DPATが誕生した経緯は?

中島 私自身が災害派遣に関わったのは阪神淡路大震災が最初でした。その頃はまだ岡山大学にいたのですが、岡山県精神科医会で活動しました。その後、中越地震があって、東日本大震災がありました。東日本のときは、精神科としてはうちのチームが最初に被災地に入ったのですが、それでも地震発生から1週間くらいが経過していました。もちろん精神科病院も大きな被害を受けていたのですが、ほとんど支援をを受けていませんでした。このとき、精神科ももっと早く現地に入らなくては駄目だと実感させられました。それで、DMAT(災害派遣医療チーム)があるのだから、精神科でも災害発生後すぐに派遣できるDPAT(Disaster Psychi-atric Assistance Team)を作ろうということになったわけです。ところが、全国的なDPATのシステムについては、まだ構築している段階でした。構築中に熊本で地震が起きてしまい、緊急派遣することになりました。

——以前とどう変わりましたか。 中島 全国的なシステムが出来上がっていなかったために若干の行き違いはありましたが、以前に比べて動き出すのが早かったのは確かです。岡山県チームは九州以外では最初に現地に入ったと思いますが、翌日には現地に到着していました。そのため、最初の地震の2日後に起きた本震に見舞われてしまいました。幸い被害はかすり傷程度で済みましたが。熊本地震では、各地にDPATが誕生していたことで、東日本大震災のときよりチーム数が増え、一時は25チームほどが現地で活動していました。

チームが交代し切れ目なく支援 ——どんな活動をするのですか。

中島 被災地では、精神科の患者さんの薬がなくなったりします。また、現地の精神科医は被災者にもなります。こうした状況では、精神科医療に関われるチームの応援がどうしても必要になります。精神科は薬も独特で、他の診療科の医師でも怖がって処方できなかったりするからです。現地の方々が立ち直ってくれるまでの間、必要な支援を提供するのがDPATの役目です。熊本地震では、益城町に益城病院という精神科病院があるのですが、そこが甚大な被害を受けました。入院していた患者さん全員に病院から避難してもらう必要があったのです。一部の患者さんは避難所に入りました。おまけに益城病院では職員の半数近くが被災し、避難所から通っていました。大変な状況の中で岡山県DPATチームも活動しました。

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