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「介護の舛添」が笑わせる! その絶望的な人望のなさ

 発端となったのは、自身の介護の様子をテレビ番組「サンデープロジェクト」に取材させたことだ。存命中のAさんから直接取材をした週刊文春によると、舛添氏は施設でユキノさんの車いすを押す場面などを撮影させ、「母を献身的に介護する自分」を演出。ところが、それがユキノさんの介護を実質的に担っていたAさん夫婦を怒らせたという。97年のことだ。

 舛添氏はこの番組放送を皮切りに、前述の著作を上梓するなど「介護問題」の専門家としての地位を固めていくわけだが、介護体験の実態がなかったことに加え、Aさんに対して金銭を要求していた疑惑もある。週刊文春によると、舛添氏はユキノさん名義の定期預金を返せとAさん夫婦を脅迫した他、Aさんに財産の相続権を放棄させ、ユキノさんや舛添氏と縁を切るよう求めたという。前述の著書には、Aさん夫婦がいかに非人道的な人間であるかが描かれているが、「当時の事情を知る人々の口からそんな事実は出てこない」(全国紙記者)という。

 それはともかく、舛添氏はこの介護本を出した翌年、東京都知事選に無所属で出馬し、本格的に政界へ打って出る。選挙は石原慎太郎氏が土壇場で出馬を表明して圧勝したが、舛添氏は政治経験ゼロながら、青島幸男知事(当時)に後継指名された鳩山邦夫氏に約1万5千票差に迫る3位という堂々たる結果だった。

 01年7月には、参院選で自民党から比例区で立候補しトップ当選。07年に再選すると、第1次安倍改造内閣で厚生労働大臣に任命され初入閣、「介護の舛添」を自認して厚労省に乗り込んだのだった。

厚労相時代は世間におもねる決定 だが、当時を知る厚労省職員はこう突き放す。「舛添氏が大臣を務めたのは年金記録問題などで厚労省が批判されまくった時代。舛添氏は職員をかばうどころか、大学の後輩でもある東大医科学研究所元特任教授の上昌広氏らとともに、医系技官批判を繰り広げた」

 今回、舛添氏の窮地に上氏は「舛添氏は政治家として卓越した能力を持つ」とかばうブログ記事を発信したが、これを読んだ職員は内容を一蹴する。「上氏の記事と私の見解が一致したのは舛添氏が世論を利用したという部分だけ。未明に会見し、お前が落ち着けと批判された新型インフルエンザの疑い患者発生の発表会見(09年4月)をはじめ、舛添氏は世論を意識しての行動が目立ったからね」

 職員は続けて、こう舛添氏を批判するのだ。「世論をつかむのは政治家の能力の一つかもしれないけど、世論を敵に回しても政治信念を曲げないのが真の政治家だと思う。舛添氏にそんな資質はないよ」

 厚労省担当の全国紙記者は「職員から話を聞くと、確かに世論におもねる決定をした事実はいくつも出てくる」と話す。例えば、終末期の後期高齢者の診療方針を文書にした場合に支払われる診療報酬「後期高齢者終末期相談支援料」。08年4月に新設されたが、野党から激しい批判を受けて2カ月後に撤回された。職員がいくら主旨や意義を説明しても、舛添氏は「世論が納得しない」の一点張りで、撤回を発表したという。

 後に国が敗訴した市販薬のネット販売規制も「舛添大臣の華麗なる功績です。法律でなく省令で販売を規制したことが敗訴の原因。きちんと法律に盛り込む手続きを踏むべきだったのに、それをしなかった」(別の職員)と恨みがましい声が上がる。

 「世論に弱いくせに、変に意地を張って自分の意見は曲げない。独断専行型なので、職員は事後処理に追われてばかり」との厚労省職員の評価は、都知事になっても変わっていなかったようだ。都庁担当の記者は「そもそも都庁職員でなければ知らない情報が外に出て、訪れた店舗も顧客の情報をあっさり明かした。舛添氏が都知事の格にふさしい店を使い、そこの上客だったら、客の情報が出るはずがない。この騒動自体が絶望的な人望のなさの現れだ」と締めくくった。

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