日米経営トップの交代劇で 日本市場に地位を築けず
世界最大のジェネリック医薬品メーカー、テバも曲がり角に差し掛かっているのかもしれない。イスラエルに本社を置くテバは世界60カ国で医薬品を販売し、従業員数は4万6000人。売り上げは203億㌦(2兆1000億円)の製薬メーカーだ。この売り上げは武田薬品工業を優に上回り、言うまでもなく、世界の医薬品メーカーの中でも上位10社に入る巨大企業だ。すでに日本市場にも2011年に不祥事を起こした大洋薬品工業を買収し、テバ製薬に社名変更して進出済みだ。
ところが、テバ本社ではスカウトしたジェレミー・レビンCEO(最高経営責任者)が1年少々で退任する内紛が表面化したし、最大のアメリカ市場では同社の数少ない新薬であり、稼ぎ頭である多発性硬化症治療剤「コパキソン(一般名はグラチラマー酢酸塩)」が予想より早く特許期間が満了し、今春にも後発品が登場しそうなのだ。加えて、念願の日本市場でもまだ確固とした地位を確立できていないのである。
日本法人トップの解任が警察沙汰に
テバ社内のゴタゴタが見えてきたのは10年秋。東京・中央区に置いていたテバ日本事務所社長の藤井光子氏が突然、社長を解任される騒ぎが起こった。10月11日、テバ本社から届いた一片の解任通知書でクビになった藤井氏が同日夜、私物を持ち出そうと事務所に入ろうとすると、警備員に入室を阻止され、警察が駆け付ける騒ぎになり周囲を驚かせた。
続いて起こったのが翌11年1月のロビー事務所が起こした訴訟だった。その外国人ロビイストは「テバの日本法人からロビー活動の依頼を受け、10年5月に在日本イスラエル大使の公邸でレセプションを開催。テバに協力してくれる要人を招いたが、肝心のテバ本社のシュロモ・ヤナイCEOが欠席し、面目をつぶされた上、ロビー費用も払ってくれない」と主張。もっとも訴状では、「反イスラエル、反テバ感情の強い日本において、日本とイスラエルとの経済活動の活性化を図ってきた」とも主張していて、ロビイスト特有の売り込みとはいえ、日本人が面食らうところが無きにしもあらずだった。テバ本社は「日本法人の藤井氏が勝手にロビー契約を結んだもの」と突っぱねる騒ぎに発展した。
だが、この騒動はテバ本社と日本事務所との行き違い程度と見られていた。なにしろ、1901年に設立されたテバは、欧米はもちろん、新興国でも次々にジェネリックメーカーや原薬メーカーを買収し、世界最大のジェネリックメーカーになった会社である。とりわけ、原薬メーカーを買収したことで、世界各地のジェネリックメーカーがテバから原液を購入せざるを得なくなったように、原薬を押さえていることがテバの強みである。日本のジェネリックメーカーが売ることばかり考え、原薬を韓国や中国に頼った結果、原薬工場が医薬品医療機器総合機構(PMDA)から規定違反を指摘された途端、ジェネリックメーカー各社が原薬不足に陥り、医薬品を造れなくなったという醜態をさらしたのとは大いに違うのである。
テバがかねてから参入の機会をうかがっていたのが日本市場だった。アメリカに次ぐ世界第2位の市場であり、かつ政府が「12年までにジェネリック医薬品の使用を30%に引き上げる」という目標を掲げたことから日本事務所を開設、買収先を探していた。しかし、日本のジェネリックメーカーはほとんどがオーナー社長のため、警戒感を強めこそすれ売却しようなどとはしなかった。そのときに手助けしたのが興和だ。もともとは名古屋の繊維メーカーだが、繊維が不況に陥ると、医薬品に進出。胃腸薬の「キャべジンコーワ」や風邪薬の「コルゲンコーワ」などのOTC薬(大衆薬)メーカーになり、さらに日研化学(現・興和創薬)を買収して医療用医薬品にも進出している。テバとの間で「興和テバ」なる合弁会社を設立し、ジェネリック医薬品への進出を試みたのだ。興和テバは滋賀県のジェネリックメーカーである大正薬品工業を買収し、着々と日本のジェネリック市場に進出しようと試みたが、テバ本社はこの程度で満足する気はない。次の買収先を探しているときに降って沸いたのが大洋薬品の不祥事だ。
大洋薬品は岐阜・高山市でホテルや建設会社、タクシー会社を傘下に持つ「大洋グループ」の新谷重樹氏が富山県の薬種商を手に入れ、本社を名古屋に移してジェネリックメーカーに発展させたという異色の出自だ。新谷氏は地場産業から身を起こした人物だけあって、「ジェネリック医薬品販売にMS(医薬品卸販売担当者)は不要」といい、代わりに医薬品数を増やす商法で瞬く間に沢井製薬や東和薬品、日医工と並ぶジェネリック大手に成長させた。
ところが、大洋薬品は武田薬品から受託生産していた医薬品にガラス片が混入していたり、自社のジェネリック医薬品の用量が違っていたりという不祥事が発覚。オーナーの新谷氏が会長に退いた後、持ち株をテバに売却。テバは日本市場で大手ジェネリックメーカーを手に入れた。後はもう簡単だ。興和新薬との間で合弁を解消。興和テバを手に入れ、大洋薬品と合併させてテバ製薬に社名変更、日本で強力な拠点を築いた。
役員の反発受け本社トップが辞任
そんなテバが思わぬ誤算に直面している。一つは本社トップのゴタゴタだ。米アイバックス、米バール、独ラチオファームの買収後も、11年には新薬メーカーの米セファロン、日本の大洋薬品と買収を一手に進めてきたヤナイCEOは12年に退任。後任のCEOには米ブリストル・マイヤーズ スクイブ(BMS)の上級副社長だったジェレミー・レビン氏が就任した。
レビン氏はBMS時代に疾患領域、サプライチェーンに応じて提携と買収を使い分けて効率経営を実践した人物と評価されていた。そのレビン氏のCEO起用は、テバがジェネリック医薬品を基盤にしつつ新薬にも手を広げるバイオテック企業になる、というメッセージと受け止められた。実際、CEO就任間もなく、「5年間で20億㌦のコスト削減」を宣言。スペシャリティ医薬品会社を設立。さらに撤回する羽目になったが、5000人のリストラを発表した。しかし、レビンCEOの性急な手法に役員から反発が飛び出し、昨秋、レビン氏はわずか1年半で辞任に追い込まれた。レビン氏の辞任はテバを支援するイスラエル政府がリストラに反発し、辞任に追い込んだともうわさされたが、ジェネリックだけでなく、新薬も併せ持つバイオテック企業への転換という目標が齟齬を来したと受け止められている。
同時に、テバに衝撃を与えたのがコパキソンの特許切れ問題だ。コパキソンは売り上げの20%を占める同社の大型商品であり、利益も大きい。テバが新薬をも供給する「ハイブリッド型製薬メーカー」を目指すキッカケになった新薬でもある。そのコバキソンが特許切れかどうかをめぐって争っていたアメリカでの裁判でテバは敗訴。コパキソンの市場独占は今春にも終了、5月ごろにはコパキソンの後発品が登場する見込みだ。世界最大のジェネリックメーカーの医薬品がライバル社の後発品に脅かされるなどというのはしゃれにもならないが、テバの経営戦略に手違いが生じたことだけは確かである。
医療機関の不信感をいまだ払拭できず
そしてもう一つは日本市場での手応えだ。11年7月に大洋薬品を買収して以来、2年半も経過したのに、日本での展開が遅れている。ようやく昨年、大洋薬品をテバ製薬に社名変更し、ジェネリック医薬品部門に整備。社長には日本イーライリリー出身の菊繁一郎氏を迎えた。同時に新薬開発部門としてテバファーマスーティカルを設立し、中外製薬からアストラゼネカに転職した西村公男氏を社長に据えた。さらに原薬会社のテバエーピーアイも設立。体制は整った。テバファーマスーティカルは早速、武田薬品と提携。厚生労働省から開発要請を受けていた「コパキソン」の開発に着手した。ジェネリック医薬品でもテバ製薬は抗がん剤「ドセタキセル水和物」「シタラビン」や高脂血症治療剤「ピタバスタチンカルシウム」、うつ病治療剤「パロキセチン塩酸塩水和物」など10成分の後発品を発売した。一見して本格的な展開が始まった。
それでもテバに対する医療機関の不安は尽きない。例えば、昨年10月に発表した81製品の製造販売中止を「選択と集中による安定供給の強化」といい、在庫の確保と、その後も代替品の供給体制を整えてあると説明するが、今まで使ってくれといわれた医療機関ははなはだ迷惑だ。確かにテバから見れば、旧大洋薬品は539製品という幅広い領域に多品種、多様な剤形を提供し過ぎてきた。神奈川県の聖マリアンナ医科大学病院が医薬品価格をより抑えるために医薬品卸を使わず、大洋薬品とクロネコヤマトと提携し宅急便で大洋薬品の後発品を納入させたが、これができたのも同社が幅広い領域に多種多様な医薬品を製造販売していたからこそだ。
そもそもまだ旧大洋薬品時代の製品に対する不信感が払拭されているとは言い難いのに、テバに替わってドライになったと思われかねない。原薬から自社製品を造るというテバの優れた点が評価されず、日本で確固とした地位をまだ築けないのも、単なる外資に対するアレルギーだけではない。
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