虚妄の巨城 武田薬品工業の品行
このところ鳴りを潜めている感がある。武田薬品工業社長にして経済同友会代表幹事、日本の産業政策に甚大な影響力を持つ長谷川閑史。その長谷川が創設に力を入れる「日本版米国立衛生研究所(NIH)」。どういうわけか、このところ長谷川が言及する機会が少なくなっている。
例えば、今年3月。長谷川は東京都内の講演会で「科学技術戦略の司令塔となる日本版NIHの創設」の必要性をあらためて強調した。
「日本が経済再生を果たすには中央省庁の壁を打破し、類似施策を整理して国の予算を効率的に使うことが必要だ」
日本の科学技術関連予算は文部科学、経済産業、厚生労働など複数の省庁に配分されている。この点についても、「施策の重複が目立つ他、連携も不足している」と大所高所から意見を述べた。
それにしても新鮮味のないご高説である。コピーライトさえ変えれば、誰が言ってもおかしくない。それだけ独自性に乏しい内容なのだろう。
正面切って省益を掲げる官庁は皆無
同友会代表幹事の名で日本版NIHで国内産業の伸長をと主張する一方、高禄を食む武田社長としては「世界戦略」を追求する。こんな矛盾のただ中に我が身を置いて恥じることすらない。収益を暴落させた経営者の厚顔無恥を地でいく「政治ごっこ」に付き合っていられるほど、この国に余裕はない。
今、日本の科学技術戦略に必要なものは何か。少なくとも日本版NIHのような「看板だけ書き換えて中身は経年劣化」の政策ではあるまい。
長谷川に理解できるかどうか分からないが、指摘しておく。「省益の追求」である。文科・経産・厚労の3省をはじめ、関係各省庁がそれぞれの「利益」を真っ当に主張する。これが原点だ。医薬品行政に詳しい厚労省OBが明快に解説する。
「長谷川さんは十年一日のごとく『中央省庁の壁』と繰り返しておられる。どこまで役所の内実をご存じなんでしょうか。現在、正面切って省益を掲げている官庁など皆無に等しい」
官僚機構は「国益」を至上命題として動いている。文科・経産・厚労の各省も例外ではない。だが、現実には文科省が唱える国益は経産・厚労両省の権益を侵害する面を持っている。経産は文科・厚労、厚労は文科・経産の島を荒らしかねない。
「すみ分けはできている」
官僚はそう説明する。だが、実際にはすみ分けられるはずがないことは誰でも知っている。
例えば、経産省が医薬品製造について「産業論」の側面から推進を図るとしよう。昨今話題の「政府調達」ではないが、「内外無差別を徹底する」ことをはじめ、具体的な項目が上がってくる。
個々の課題を詰めていけば、省庁間で「ケンカ」になることは避けられない。ここで矛を収めるから話が前に進まないのだ。合意が形成できるまで、ちゃんとケンカをする必要がある。「ちゃんとしたケンカ」とは、これまでに述べた「組織に入れる横串」に相当するものだ。
「日本の現状は『縦割り行政にすらなっていない』水準にある。『まともな縦割り行政にしてほしい』──これは決して大きな声にはなりませんが、ごく少数の分かっている人間の間では共通認識化しています。そのためには、もっと省庁間でケンカをしていかなければならない」(同前)
文科・経産・厚労3省にはそれぞれ「省是」とも呼ぶべき理念がある。局長・審議官級の幹部であれば、それをネタに10分程度の講演をすることなど、造作もない。閣僚はそうした理念をあらためて言明する必要がある。中には省庁間で重なっているものもあるだろう。ねじれたり、平行線を描いたりしている分野も出てくるかもしれない。
「そうした省庁間の関係を全て明確にすることが先決です。見ないようにしてはならないし、平行線がどこに帰着しているかをぼやかすのも良くない。大変ですが」(医薬行政研究者)
こうした作業を進めていく上では政治のリーダーシップが欠かせない。経済団体や企業経営のトップが口を挟んでもいいが、実行は無理だ。
「政治家が本気で医療や研究開発(R&D)に政策を通じて関わるのであれば、省益のぶつかり合いは避けて通れません。さらにいえば、一つの施策を制度化したり、予算化したりする際、『見える』形にしておく必要があります」(同前)
つまり、こういうことだ。施策を通す上では最終的な落としどころが必ずある。金も人も無尽蔵にあるわけではないからだ。このとき、省庁間での摩擦の結果、どの省の主張が通ったかを明確にする。現状では中途半端な縦割りがまかり通っている。それぞれの役所で予算も決まった額が確保されており、それを正当化しているにすぎない。
政策決定劣化の象徴が「NIH」
「主義主張をぶつけ合った結果、前年度から予算額が変更になっても構いません。『経産省の予算は去年と比べてずいぶん増えましたね』と言われるようなことがあってもいい。ただ、省庁間のケンカが従来のような政治色の強い分捕り合戦だけでは困ります。『○省の原案を採用しました』と大臣が表明する。理由付けも明確でなければならないでしょう」(前出の厚労省OB)
例えば、大臣がこんな発表をする。
「経産省の案でいくことにしました。なぜならば、日本は産業政策、ことに企業が弱い。結果として国民の厚生やR&Dに悪影響を及ぼしている。そう判断しました。経産の予算は倍増です」
結果としてうまくいかなければ、判断・発言の主である大臣は責任を取らなければならない。政治が政策決定に真の意味で関与する、その一つの形がここにはある。指針の示し方の好例だ。
「トレードオフが数多く存在する医療・R&D政策では政治姿勢や距離、重心の置き方が重要。昨今では5カ年計画が大流行です。まるでトレードオフなどないかのように、ばらばらで年数が無駄に過ぎ去っていく。こうした文書はよく見かけますが、単なる内容の羅列です」(研究者)
そうしたものとは根底から違う文書を作らなければならない。その方針に政府としての横串が刺さっていく。これこそが政治主導かもしれない。
「役所の壁を壊すなんて屋上屋を架す必要はまったくありません。もちろん、『寝技』を使うのもアリです。自民党は政権担当の経験が豊富。本来であれば、省庁間の摩擦も辞さない意思決定は得意なはずです」(前出の厚労省OB)
日本版NIH。この国の政策決定が急激に劣化しつつあることの象徴かもしれない。(敬称略)
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