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富士フィルムホールディングス

富士フィルムホールディングス
新事業はどれも中途半端 倒産コダックの轍を踏ま

 「何をやっている会社なのか分からない」と酷評する人もいる。2006年に持株会社になった富士フイルムホールディングス(HD)だ。かつては大先輩の米イーストマン・コダックやドイツのアグフア・ゲバルトと並ぶ写真フィルムメーカーで、日本を代表するエクセレント・カンパニーだった。ところが、銀塩写真フィルムからデジタルの時代に変わるや、同社の存在感は希薄になってしまった。もちろん、率先してデジタルカメラに進出し、医薬品事業に手を出し、ネットソリューション事業に、さらに化粧品にも乗り出したが、どれもこれも中途半端。端から新事業に手を出し、どれが中心事業なのか分からない。液晶パネル向け高機能フィルムを除けば、業界をリードするような事業が育っていない。くしくも1年前にアメリカ国民の間で「ビッグ・イエロー」と親しまれた名門、コダックが倒産したが、同じ轍を踏むのではないか、といらぬ心配もしてしまう。果たして、富士フイルムHDはエクセレント・カンパニーとして生き続けられるだろうか。

何が目玉事業なのか分からない会社

 富士写真フイルム(現・富士フイルム)全盛時代は、誰もがグリーンの箱に収まった同社のフィルムのお世話になった。写真の色彩は自然に近い鮮やかさを持っていた。だが、デジタルの時代に入ると、同社は色褪せ、存在感が希薄になってしまった。今では銀塩フィルムは医療で使うレントゲン写真くらいである。

 もちろん、富士フイルムもデジタルカメラに参入した。1988年には世界で初めて画像記録をデジタル化したフルデジタルカメラ「DS‐1P」を発売。技術力の高さを示した。しかし、カメラメーカーだけでなく、家電メーカーもデジカメ市場に参入。結局、ニコンやキヤノン、オリンパス、家電メーカーのソニー、パナソニックが抜きん出て、富士フイルムのデジカメは大して人気にもならなかった。

 銀塩写真フィルムに代わって同社を支えるべき事業も試みている。いや、コダックと同様、誰よりも銀塩フィルムからデジタル信号を使う時代に代わることを痛感していたのは当の富士フイルムだった。例えば、医療機器分野で80年代に「デジタルX線画像診断システムFCR」を開発している。しかし、同社の大黒柱であり売り上げの3分の2を占めていた銀塩フィルムの凋落のスピードは速かった。ざっと10年で売り上げが10分の1になった。NHK経営委員会委員長を務めたこともあり、昨年、富士フイルムHDの会長に退いた古森重隆氏が社長に就任した00年がピークだった。

 豪腕ともワンマンとも称される古森氏は社長に就任するや、思い切った方向転換を図った。銀塩フィルムにこだわるのではなく、同社が培った写真技術を応用することで高機能デジタル材料分野や医療機器、医薬品、化粧品などの分野に進出した。そのために二度にわたり合計1万人のリストラを行うとともに、新規事業に思い切った投資を試みている。同時に米ゼロックス社と折半出資だった富士ゼロックス株を買い取り、連結子会社にもした。現在、同社は売り上げを01年3月期の1兆3800億円から現在は2兆2000億円に伸ばしたと強調しているが、その40%は富士ゼロックスを連結に加えたからにほかならない。

 それでも、曲がりなりにも古森氏の経営転換は成功している。代表例が液晶パネルに欠かせない偏光板保護フィルムだ。薄型テレビは液晶が主流になるのか、それともプラズマテレビになるのかまだ分からないときに偏光板保護フィルムの工場を拡大。08年のリーマンショックで世界中の液晶テレビの生産が落ち込み、偏光板保護フィルムの受注が止まったとき、古森氏は九州工場の増設を前倒しして稼動させ、その後の需要急増に応えた。この果敢な挑戦の結果、今、同社の偏光板保護フィルムは世界で80%のシェアを占めている(残りの20%はコニカミノルタ)。売り上げでも高機能材料は全体の20%に達している。銀塩フィルムが売り上げのたった2%にしか届かないのと比較しても素晴らしい数字である。

画期的な医療機器が見当たらない

 さらに医療機器、医薬品、化粧品、サプリメントへと事業を拡大。医療機器は前述したように80年代からデジタル化に取り組み、デジタルX線画像診断装置を送り出したほか、内視鏡にも進出。損失飛ばし事件が発覚した内視鏡トップメーカーのオリンパスの買収に名乗りを挙げたものの、買収すると世界の内視鏡の90%以上を独占してしまうという危惧から嫌われ、ソニーに奪われてしまった。富士フイルムの内視鏡はレーザー光線を使う最新技術を武器に需要を拡大しているが、しょせんオリンパスに次ぐ2番手でしかない。

 しかも、デジタルX線画像診断装置や内視鏡、エコー画像診断装置以外では、画期的な医療機器はまだ生まれていない。MRI(磁気共鳴画像装置)やPET(陽電子放射断層撮影)などの大型医療機器は米GEやドイツのジーメンス、あるいは日立、東芝、島津製作所の牙城には迫れないし、体内埋め込み式の医療機器は外国メーカーやベンチャーの独断場で、画像処理が得意な富士フイルムには踏み込めない。診療所や病院、さらに高度専門医療機関を結ぶネットワーク構築事業にも乗り出したが、ネットワーク構築にはIBMやNTTデータ、NECや富士通などのソフト専門業者が立ちはだかる。

 医薬品に至っては大金を投じてもまだ海のものとも山のものとも分からない状態だ。診断薬の「富士フイルムRI」に加えて、古森氏は08年に1300億円を投じて富山化学工業を買収して新薬に参入し、10年には後発品メーカーの富士フイルムファーマを稼動させた。さらに、米メルクからバイオ医薬品事業部門を買い取り、12年は協和発酵キリンと提携し、協和キリン富士フイルムバイオロジクスを設立、人材不足といわれながらもバイオ後発医薬品にも進出した。

 中核になる富山化学は富士フイルムの資金を得て新薬創出専門に特化。新機序のインフルエンザ治療薬を開発、承認申請中で、まもなく承認される見込みだが、インフルエンザ治療薬は「タミフル」「リレンザ」に続き、第一三共の「イナビル」、塩野義製薬の「ラビアクタ」の計4種類が発売されている。耐性菌に対応できる唯一のインフルエンザ治療薬とはいえ、治療薬が増えただけに、11年のタミフルのように大量に売れるとは思えない。もう一つ、富山化学はリウマチ治療薬「T‐614」も承認申請している。だが、その後に続くパイプラインは抗菌剤、認知症薬程度しか見当たらない。

撤退した医薬品事業再挑戦の懸念

 実をいえば、富士フイルムの医薬品事業への参入は2度目。古森氏の前任者である大西実社長時代の92年、ノーベル医学・生理学賞を受賞した利根川進教授と共同で創薬会社、富士免疫製薬(FIP)をアメリカに設立した。大先輩のコダックが医薬品事業に進出していたことに加え、ノーベル賞受賞者との共同事業ということに釣られたものだったといわれている。この事業は5年以内に臨床に進むという約束で研究が始まり、約束どおり臨床に進んだ医薬品を生み出したが、96年、突然、富士フイルムは金が掛かり過ぎると、撤退した。コダックも医薬品事業から撤退したが、富士フイルムもコダックを見習ったかのようだった。

 今、富士フイルムは医薬品、医療機器、化粧品、サプリメント事業で18年には現在の3倍になる1兆円の売り上げを目指している。これは医薬品で相当の成果を上げなければ実現できそうもない。果たして成功するだろうか。

 「富士フイルムの技術者たちは優秀です。写真フィルムの箱にレンズを付けて『写ルンです』を生み出したように独創的な開発力があるし、高機能材料やデジタル画像装置でも抜きん出た技術力を示した。撤退したアメリカのFIPでもエイズ治療薬を4年で臨床実験に漕ぎ着けた。しかし、5年以内に結果が表われる写真と違い、医薬品がモノになるのは万に一つの上、10年、15年かかる。莫大な費用も掛かる。アメリカでは撤退した事業に再度乗り出すのは無駄遣い、といわれている。医薬品メーカーはどこも歯牙にもかけないでしょう」(外資系製薬メーカー幹部)

 写真フィルムは箱のデザインを変えれば誤魔化せるが、医薬品はハイリスク・ハイリターンの世界。成功するまで古森会長と中嶋成博社長は辛抱できるだろうか。

 富士フイルムHDは「化粧品、サプリメントは写真フィルム技術の延長線上のものだ」と言う。確かにフィルムにはナノ技術を駆使したコラーゲン溶液を塗る。その材料と技術を応用して化粧品を開発し、サプリメントにも生かせるだろう。だが、医薬品業界、医療関係者の間では「医薬品は化粧品、サプリメントとはまったく別もの」と考えられている。欧米でも化粧品、サプリメントを一緒に扱う製薬会社はない。その昔、山之内製薬(現・アステラス製薬)がサプリメントのシャクリー社を買収、痛い目に遭ったこともある。日本のエクセレント・カンパニー、富士フイルムが会社を支える分野を育てようと、種々の事業に乗り出すのも無理はないが、後ろ姿を追い続けてきたコダックの二の舞を演じないか一抹の不安に駆られる。

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