医薬品卸のトップが陥った 「2強」の地位からの転落懸念
「2強2弱から脱落、2弱に加わった」と陰口をたたく人もいる。医薬品卸大手のメディパルホールディングス(HD)だ。2000年4月、三星堂とクラヤ薬品、東京医薬品の3社が合併し、メディパルの前身であるクラヤ三星堂が誕生したとき、長い間、医薬品卸最大手に君臨していたスズケンを追い抜いてトップになった。しかし、10年1月にアルフレッサHDとの合併を白紙に戻さざるを得なくなって以来、その勢いがなくなったという。東日本大震災で事業子会社のメディセオの釜石支店が津波で壊滅的な被害を被った災難もある。だが、それだけではない。医療用医薬品では僅差にすぎなかったアルフレッサに水をあけられ、「2強」といわれた地位から脱落寸前だという人までいる。
今年4月に10年間同社をけん引してきた熊倉貞武社長が会長に退き、旧クラヤ薬品時代からの部下だった渡辺秀一副社長が新社長に就任。熊倉氏は「ナショナル体制は完成した」と語ったが、果たして「3弱」から抜け出しトップに戻れるか。メディパルはアルフレッサとの合併を白紙に戻したころまでが最も輝いていた時代かもしれない。合併が認められたら新会社を動かすのはメディパルの熊倉社長(当時)と誰しもが思ったほどだ。
熊倉氏は慶大卒業後、山之内製薬(現アステラス製薬)に入社。旧クラヤ薬品創業者の熊倉芳次郎氏の娘婿となり、クラヤ薬品に転じ社長に就任。00年4月に三星堂、東京医薬品と合併してクラヤ三星堂を誕生させ、卸トップを実現した実力者だ。合併では社長を故山田隆史氏に譲り、副社長に就いたが、02年に社長に就任。クラヤ薬品時代から数えて24年間、同社をけん引してきた。本人はカントリーミュージックが趣味で、慶大時代にバンドを結成したことがある。社長就任後も銀座にピアノバーを開き、熊倉氏自身、ギターを手にプロ並みの腕前を披露しているほどだ。合併話はそんな社交的な熊倉氏がアルフレッサの福神邦雄会長を説き伏せたのではないかと噂され、熊倉氏が合併会社のかじ取りをするだろうと予想された。
「苦しい」は病院や調剤薬局へのけん制
そのメディパルを含め、医薬品卸は昨年夏以来、赤字になると声高に叫んだ。だが、今年5月に発表されたメディパルの12年3月期連結決算は売り上げが2兆7502億円で対前年比1000億円近い増加だった。営業利益は208億円に上った。医療用医薬品部門に限っても売り上げは前年比4・3%増の1兆9679億円、営業利益は84億円、営業利益率は0・43%と大幅に改善していた。
もちろん、メディパルだけが好決算だったわけではない。上場している医薬品卸6社が同様に好決算だった。理由は値引き競争のない公費助成のワクチンの急増とインフルエンザの流行、生活習慣病への取り組みが増加したことが挙げられる。「赤字になる」「苦しい」と騒いだのは何だったのか。だが、医薬品卸各社は「まだ営業利益率は悲願の1%にも届かない」と訴えている。病院や大手調剤薬局へのけん制だと見られているが、「今後は値引きで応えてもらいたい」(病院薬務課)という声が上がっているのも当然だ。
それはともかく、熊倉社長は09年1月のアルフレッサとの合併白紙撤回以後、「新生メディパル」へと体制を変えた。同年10月、当時の社名だったメディセオ・パルタックHDを現社名のメディパルHDに変えて純粋持株会社にし、傘下の医薬品卸事業子会社では九州のアトル、中国地方のエバルスを除く子会社6社を合併させてメディセオに統一。それはチェーン調剤薬局の全国展開、大病院の共同購入に対応するために「関西以東をスッキリさせた」組織改変だった。
さらに「物流のスペシャリスト」とも呼ばれた山岸十郎氏をメディセオの副社長に抜擢し、物流センターの改革、希望退職にも取り組んだ。中でも力を入れたのが次世代型という新物流センター、ALC(エリア・ロジスティクス・センター)の建設である。同年5月に渡辺秀一クラヤ三星堂社長(当時)と山岸副社長を伴い、横浜市戸塚区に完成したばかりの神奈川ALCで記者会見を開いたほどだ。熊倉氏の物流改革に賭ける意気込みが伝わるが、それは断念せざるを得なかった合併の効果に代わり、自力で配送効率化に取り組んだものだった。医薬品卸にとって最大の固定費は配送部門の人件費である。合併ができれば、両社で重複する配送を一本化でき人件費を半減できる。医薬品卸が合併に走るのは配送費カットによる経営効率化が可能だからである。逆にいえば、合併で人件費を減らすことくらいしか効率化できない業種ともいえる。
熊倉社長は山岸副社長の持論を取り入れ、ALCを活用する新物流制度構築に力を入れた。新物流制度では、今までのように物流センターから支店に医薬品を搬入し、支店が配送する流れを、ALCから直接、医療機関、調剤薬局に配送する仕組みである。むろん社内には、山岸氏を登用して着手した荒療治に対して「医薬品を知らない雑貨の人間に何がわかるのか」と、山岸副社長への反発も強かった。だが、熊倉社長は金がかかってもALCの構築で人件費も無駄も省くことが可能だと言い続けたという。
安売り競争に巻き込まれて業績低迷
熊倉社長が荒療治を進めている最中、アルフレッサが仕掛けた安売り競争が勃発した。メディパルも安売り競争に巻き込まれ、11年3月期の医療用医薬品の業績は落ち込んだ。医療用医薬品卸事業ではトップのアルフレッサが売り上げを前年比6%伸ばして2兆1666億円だったのに比べ、メディパルの伸びは3・3%にすぎず、1兆8859億円にとどまりアルフレッサとの差は広がった。営業利益ではもっと鮮明だ。アルフレッサが77億円なのに、メディパルは前年比62%減の36億円。アルフレッサの半分以下だ。第4位の東邦HDも営業利益は対前年比67%も落ち込んだが、それでも28億円をキープしている。このままの状態が続くと、メディパルは数年後には営業利益で東邦に追い付かれるのではないか、とささやかれた。
それでも熊倉社長は荒療治を続けた。特に執念を燃やしたALCは、09年に完成した神奈川ALCを皮切りに今年6月には岩手県花巻市に30億円を投下した東北ALCを、8月には川崎市に南東京ALCを70億円かけて完成させた。ALCは耐震構造の建物であるほか、非常用発電機、バイクや自転車まで備え付け、東日本大震災での教訓を生かし、どんな場合でも医薬品卸の使命をまっとうできるようにしているが、ALCの完成で配送経費を極力抑えることができる。
新物流センターも販路拡大につながらず
その効果が表れたのが12年3月期決算だ。メディパルの医療用医薬品の売上高は市場平均の4・4%とほぼ同程度の4・3%増の1兆9679億円だが、注目されるのは営業利益だ。10年度の36億円から84億円に倍増していることだ。アルフレッサの営業利益81億円をも上回った。営業利益率も0・2%から0・43%と劇的に改善している。アルフレッサとの売り上げの比較では10年の3000億円差がさらに広がってさえいるのに営業利益が急増したのは熊倉社長が取り組んだ物流改革の効果が表れてきたとみることができる。
だが、メディパルが組織、流通改革にまい進している間に、アルフレッサは値引き競争を強行。自身も火の粉を被ったが、病院への浸透度を高めた。加えて前々から丹念に開拓してきた調剤薬局への実績も厚い。東邦は積極的に調剤薬局事業に進出し、売り上げ拡大を目指している。
むろん、メディパルも座視していたわけではない。東邦がオーファンドラッグ(希少疾病用医薬品)に協力することで販売、配送を独占し、金額はせいぜい数十億円にすぎないが、確実な売り上げと利益を確保しているのに対抗して、シミックと合弁会社を設立、資金も提供することでオーファンドラッグ開発を強化している。同時に、医薬品事業を強化するために「AR(アシスト・リプレゼンタティブス)」と呼ぶ、MR(医薬情報担当者)資格を持つMS(医薬品卸販売 担当者)を新たに育成。大手ジェネリックメーカーのMRを超える400人の部隊を結成した。製薬メーカーのプロモーション活動を支援してフィーを受け取るビジネスモデルで、すでにJCR(日本ケミカルリサーチ)、帝人ファーマ、大塚製薬でプロモーション活動を始めている。
果たしてARの活動は販路拡大に結び付くのか。メディパルは取材に対し、「ARの機能と活動に期待を寄せているお得意様やメーカーが増えてくれば、結果として収益に結び付いていくと考えている。また、それだけの水準を持った機能にしていかなければならないと思っている」と話す。
バトンを受け継ぐ渡辺新社長は早くから後継者と見なされてきた人物。しかし、14年3月期で連結売り上げ3兆円、医療用医薬品事業で2兆1420億円という目標を掲げた中期ビジョンをどう実現し、さらにアルフレッサとの差をどうやって縮めるのか。同社は「差があるとは、すなわちそれはお得意様からの評価であると思っている。我々はお得意様が当社との取引を望まれる企業に変革していく努力が必要であると考えている」と言うが、その拡大策はまだ示せていない。 ALCは次世代物流でも、営業が旧態依然ではサマにならない。
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