旭化成は5月、2011年度から始まった新中期経営計画の初年度の進状況を発表した。『For Tomorrow2015』と名付けた同計画は、リーマンショックの影響で未達に終わった前回の5カ年計画を受け、新たに策定した新5カ年計画。内容は5年間に総額1兆円を投資して、15年度には連結売上高を25%増の2兆円、営業利益を63%増の2000億円にするという野心的な計画だ。
発表当初は傘下のケミカル・繊維、住宅・建材、エレクトロニクス、医薬・医療の4事業のどれにいくら投資するのか不明確で、社内で投資資金の奪い合いが起こるのではないか、という声も巻き上がった。進捗状況の発表はそんな懸念を払拭するためでもあるらしい。子会社の旭化成ファーマと旭化成メディカルが担う医薬・医療事業では、既存事業の拡大に米アーティザンファーマ(現・旭化成ファーマアメリカ)を完全子会社化、新規事業として米ゾール・メディカルの買収を挙げている。主流のケミカルなどと違い、売り上げも小さい医薬・医療は置き去りにされるのではないかという不安は一応払拭された。だが、老舗企業の社内で新参の医薬・医療が期待以上の成績を残せるか。
確かに、新中期経営計画を昨年5月に発表して以降、旭化成の医薬・医療事業に対する意欲には目を見張るものがある。同事業のうち医療機器部門には、人工腎臓の旭化成クラレメディカルと、血液浄化フィルター事業を主力にする旭化成メディカルと2社もあって分かりにくかった。そこで、今年4月、クラレから旭化成クラレメディカルの保有株を買い取って旭化成メディカルと合併させ、医療機器分野をすっきりさせた。また、同月、救命救急医療機器大手の米ゾール・メディカルを1830億円で買収。国内で同社のAED(自動体外式除細動器)の販売に乗り出した。
医薬品部門を担当する旭化成ファーマでも自社創製の緑内障治療薬「ATS907」をバイオベンチャーの米アルテオスに導出。また、自社創製の血液凝固阻止剤「リコモジュリン」をアメリカで開発販売するために、ベンチャーキャピタルと共同設立したアーティザンファーマを完全子会社化し海外販売を強化している。
その一方、米ゾサノファーマから経皮的微小突起薬物送達システムを利用したヒトPTH(ヒト副甲状腺ホルモン)経皮吸収製剤を導入。自社創薬した期待の骨粗鬆症治療剤「テリボン」の使用法に同システムを活用したパッチ製剤を加えて売り上げ増を狙っている。さらに、30億円を投下して静岡県伊豆の国市に来年秋の完成を目指して医薬研究センター新研究棟の建設を予定している。
ワンマン経営者の存在が「重石」に
まるで医薬品、医療機器こそ、これからの旭化成に必要な事業と目覚めたかのようだ。旭化成にのしかかっていた重石が取れ、自由な選択ができるようになったことと無関係ではない。まず、ワンマン経営者ともいわれた山口信夫名誉会長が10年秋に亡くなったことだ。山口氏は日本商工会議所会頭を務めた人物だが、亡くなるまで代表権を手放さなかった。医薬・医療機器への進出に力を入れた先見の明がある人だが、ワンマンだっただけに社内では批判めいたことはいいにくかったのも事実。山口氏の死去で社内に自由闊達な風が吹いたともいわれている。もう一つは岡山県倉敷市の水島エチレンセンター。化学製品の基礎であるエチレンは供給過剰で、同センターは旭化成の重荷になっていた。ちなみに、同センターはもう一人のワンマン社長、故宮崎輝氏がつくった。
同社は良くも悪しくもワンマン社長が誕生する。創業者の野口遵氏が長期政権を敷いたのを筆頭に、宮崎氏は社長を24年間続け、会長を亡くなるまで8年間務めた。社内で「次期社長」「プリンス」などの評判が立った人物を次々と左遷して追放。いつの間にか、取締役には自分の子供と同じ年齢の人しかいなくなった。会長に退いたとき、新社長は研究開発担当で、宮崎新会長は「社長の名前が会長に変わっただけ」と豪語した人物だ。
その宮崎氏が国内7番目のエチレンセンターを計画。石油化学コンビナートは過剰になる恐れから通産省(当時)が認めないだろうと質問されると、「与党・自民党の派閥は七つあるから七つのエチレンセンターが可能だ」と語り、実際、7番目のエチレンセンターを実現、同社を大手化学メーカーに成長させた。その後、新興国の台頭で安値のエチレンが出回ったことから国内では生産過剰に陥り、同社にとっては懸案になっていた。昨年、三菱化学と共同法人を設立、エチレンセンターを本体から切り離すことに成功。重石から解放され、意欲的な目標を掲げられるようになった。
旭化成の収益事業は、「ベンベルグ」(キュプラ)で知られる化学繊維から「サランラップ」で有名な化学や「へーベルハウス」に代表される住宅・建材に中心が移った。医薬・医療は山口氏の意気込みで進出した新参事業にすぎない。12年3月期の売上高1兆5732億円のうち、主力のケミカル・繊維が7909億円に上り、住宅・建材が4981億円、電子材料を扱うエレクトロニクスが1461億円であるのに対し、医薬・医療は1195億円にすぎない。藤原健嗣社長は2020年度で同事業の売上高を5000億円、営業利益率15%を目指しているが、果たして実現可能なのか。
期待に濃淡ある医薬品と医療機器
社内で山口氏の目が光っていた間は誰一人、口にすることはなかったが、医薬・医療事業は資金を使うばかりで会社を支える利益を上げていないことから低く見られていた。他部門の幹部は「そういえばリコモジュリンがあった」などという程度なのである。
だが、経営陣は山口氏以上に医薬・医療事業に力を入れている。事業売り上げのうち、医薬品の売り上げは580億円ほどで、08年に発売したリコモジュリンが好調で売り上げを支えている。藤原社長は「昨年11月に発売したテリボンなどを合わせて中期計画が終了する15年度には旭化成ファーマの売り上げを1000億円にする」と抱負を語っている。
目標達成はテリボンの売り上げいかんにかかっているが、米ゾサノファーマから導入した経皮的微小突起薬物送達システムを応用することで、皮下注射だけでなく、粘着パッチを使う簡便さを実現してテリボンの売り上げをかさ上げする計画だ。さらに、スイスのロシュから全世界での販売権を取得した排尿障害改善剤「フリバス」を韓国で販売開始。米アルテオスに導出し、目下、臨床試験中のATS907が緑内障治療剤として登場することも期待している。
一方、旭化成メディカルが担当する医療機器でもゾール・メディカル買収で、拡大への意欲を見せている。しかし、昨年8月にゾール・メディカル製のAEDの国内販売を進めたが、時期遅れではなかったか。日本でAEDを公共施設や不特定多数の人が集まる場所に配置するように叫ばれたのは数年前で、現在はほぼ配置が終わっている。その市場に食い込むのは容易ではない。
医薬品と比較したとき、医療機器事業の伸びは期待しにくい。統合した旧旭化成クラレメディカルの人工腎臓を除けば、血液浄化フィルターを含めて旭化成メディカルの医療機器はニッチな製品にすぎない。救いはウイルス除去フィルターや白血球除去フィルターなど旭化成が得意とするフィルター事業があることだ。大幅な売り上げ増は期待しにくいが、堅実な事業である。苦しくても持ち続けることで世界のシェアの90%を握ってしまったベンベルグのように、思わぬ幸運が舞い込むかもしれない。
今後の主力医薬品候補が見えない
医薬・医療事業を伸ばすのは旭化成ファーマの医薬品ということになる。リコモジュリンは今後も快走が続くとみられるし、骨粗鬆症治療剤は超高齢社会を迎えてますます重要性が増すからテリボンが2本目の柱になるだろう。
しかし、その後に続く候補が見えにくい。フリバスもあるということなのだろうが、どれも大型商品にはなりにくい。その代わり、泌尿器、整形外科領域の治療剤はブロックバスター(圧倒的な売り上げを出す医薬品)にはなれなくても競争相手が少ない。安定した売り上げを得られる。
だが、それだけでは大きな伸びはない。自社創薬に力を入れるとともに、より多くのパイプラインをそろえなければ、新中期経営計画に掲げる「健康で快適な生活」を実現し「安定的な収益体質」を築くことはできない。この点を旭化成はどう考えているのか。取材を申し込んだが、検討期間が短いとの理由で断られた。
財閥系化学会社ではとかく製薬部門は付け足しのように見られている。そういう姿勢が財閥系の医薬品部門の成長を阻害しているという声もある。石油製品はトン当たりの商売だが、医薬品はミリグラム単位の世界で、それでいて売り上げは万円単位であり利益も大きい。加えて成長市場でもある。今後、旭化成ファーマがパイプラインを増やし、リコモジュリンのような医薬品を生み出せなければ、持ち株会社の旭化成が掲げる新中期経営計画達成に赤信号がともるだろう。
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