3候補伯仲の日医会長選を制し、原中氏が初当選
「まれに見る三つどもえ選挙」。4月1日午後7時から東京都内のホテルで開かれた原中勝征・日本医師会(日医)新会長の祝勝パーティーで齋藤浩・選挙対策本部長(茨城県医師会副会長)が搾り出すように口にした一言。戦いの全容を何より雄弁に物語っていた。
同日、午前9時30分から日医は日医会館(東京・文京区)で代議員大会を開催。会長、副会長、常任理事、監事、裁定委員の選挙を行った。同大会は「記者クラブ加盟社以外の取材はお断りしている」(日医広報・情報課)ため、弊誌は立ち入ることさえかなわなかった。唐澤祥人・前日医会長は「情報発信」の重要性を訴えて選挙を戦った。会長選のフルオープン化は意外にも情報発信には含まれないらしい。次期会長(とクラブ加盟社の皆様)には是非とも一段と進んだ情報開示を伏してお願いしておきたい。
午後1時すぎ、選対本部への直接取材の結果、前記のパーティーの開催の事実が判明。駆けつけた会場には開場前からすでに300人余りの出席者がひしめいていた。会場では前出の齋藤氏より「(356票中)最多の131票を集めた」原中氏の会長当選が報告された。ほかの2候補である唐澤氏、森洋一・京都府医師会長もそれぞれ100票超を獲得。冒頭の発言どおり、伯仲の選挙結果となった。
副会長選挙では原中氏が推薦した候補がすべて落選。常任理事でも10人中6人しか当選に至らなかった。唐澤・森両陣営が推薦した副会長・常任理事候補は一部重複しており、会長選では割れた票が副会長・理事選では合算された結果とみられる。
弊誌の取材によれば、原中氏は2月28日の選対事務所開きの時点で代議員の「3分の1強」(選対幹部)の票をすでに固めていた。3月に入り、選挙戦が本格化する中、地方の代議員のもとを回り、20日の決起集会のころにはさらに支持を広げている。集会では一部の都道府県医師会長から「このまま誰も降りなければ勝てる」と他候補への牽制と自信を含んだ発言も聞かれた。
「めでたさも中くらいなり日医会長選」
祝勝会での伯井俊明・大阪府医師会会長のスピーチがそんな句で始まったのは前記の事情を反映している。伯井氏は今回の選挙で原中氏を最後まで支え続けた1人。植松治雄会長体制の日医で政治との折衝を担当。選挙の怖さも知り抜いている。「もう少し会長がやりやすいような体制を作る良識を持ってほしかった」と悔やんだ。
「今はノーサイド。大丈夫です」
原中新会長の運営について聞くと、新常任理事の1人は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。だが、原中陣営内にさえ、新執行部の立ち上がりを危惧する声は絶えない。
「副会長らが原中さんを兵糧攻めにして、何もできなくさせてしまうという噂が聞こえてきている」
原中支持の都道府県医師会長は煮え切らない表情を隠そうとしない。もっとも、現行の日医会長には機関として大きな権力が担保されているのも事実。茨城県医師会を中心とした応援団の結束は固い。陣営の誰もが口にする「日医の出血を止められるのは原中しかいない」という思いをさらに伝播させていくには、原中氏が再三強調してきた「政策実現力」にものを言わせていくしかあるまい。
原中氏は弊誌の単独インタビュー(本誌3月号、2月23日付集中CONFIDENTIAL)で単なる「親民主」でないことを断言。一般紙誌上で喧伝される「パイプ」にも疑問を呈した。だが、「民主の原中、自民の唐澤、どちらでもない森」という大マスコミ中心の55年体制の劣化コピーまがいの報道がやむことはなかった。
原中・日医の行く手には課題が山積している。原中氏が民主党と対話するきっかけとなった後期高齢者医療制度の廃止はいまだ実現していない。診療報酬と介護報酬の同時改定が実施される2012年に向けての議論も不可欠。公益法人改革に伴い、13年11月までに日医は一般社団法人と公益法人のいずれかの道の選択を迫られることになる。いずれも一筋縄ではいかない難題ばかりだ。
選挙戦で全国をくまなく回った疲れを癒す間もなく、原中氏は会長としての激務に乗り出す。選対幹部はマニフェストの実行や政策実現には自信をのぞかせながらも、「1期でやれることには限界がある」と2年後の再出馬の可能性も示唆した。
医療と政治の関係が激変することも予想される中、荒波に漕ぎ出す原中・日医。各陣営が「これまでにない」と異口同音に評した選挙戦の後も、いまだかつてなかった事態はさらに続くことだろう。
※本誌5月号でさらに詳細なリポートを掲載いたします。
◎日医会長選祝勝パーティーでの原中勝征新会長のスピーチ(全文)
おかげさまで当選させていただきました。本当に辛い選挙戦でございまして。今日、選挙をしている間に何か自分が雲の上に座ってどこかに行ってしまうんじゃないかと、そのぐらい足元がおかしくなった気分で選挙結果を聞く状態でございました。
しかし、本当に3人ともほとんど差がないような選挙結果でしたけれども。思いは皆一つでございまして、「日本の医療を今後どうするか」ということを真剣に考えたお互いの選挙戦であったというふうに振り返っております。
私は一番最初から今回、日医会長選に立候補した理由は、やはりいい医療体制がある国は国民が幸せである、いい医療体制のできていない国民は不幸せである。そんな気持ちで日本の医療がこれから少子高齢化がどんどん進んでいって、人口がどんどん減っていって、ちょうど小泉(純一郎)さんが(内閣)総理大臣になって以来、(労働者)派遣法の(対象範囲の)拡大によって今の若い人たちが(国民健康)保険料も納めていない。果たして私たちの年齢になったときに、この人たちが我々のように日本人としての幸せを得られるだろうかということを真剣に考えました。その中でやはり私たちが国に対して、国民を大切にするという基本的な政治をやってほしいということを叫ばないといけないというふうに考えたわけでございます。
今、私たちがふっと考えてみますと、この前のインフルエンザのときに、あの世界第一の(経済大国・)米国では多数の死亡者が出ました。でも、我が国では出ませんでした。これは米国は裕福な国であっても、国民皆保険がないためにお金のない人は医者にかかれなかったということが大きな原因だったというふうに思います。その点、私たちの国はみんな(健康)保険を持っているおかげで早くから医師の診察を受けられたということだと思います。
私はやはりこの国がいつまでも国民皆保険(制度)が健常な形で存在して、自分の貯金がなくても、将来安心して安全に生活できる世の中になれば、これはやはり昔のような夜中に女性が1人で歩いていても、何の心配もなかった安全な世の中になるんじゃないかというふうに考えております。
私たちの分野は医療ということからしか切り出せませんけれど、私はやはり医療というのは、国民の生命と健康ということは安全・安心の、人間として一番求めるところだと思います。その点においては、今の民主党の政治に対しても、私たちは現場からの声をどんどん吸い上げて、申し上げて、国民のための医療政策を実行していただくように努力しようと思っております。どうぞこれから、思った以上に日医会長の職務は大変でございます、今日、いろんな話を聞いて、その重さにちょっと心配しているところでございますが(笑)。
選挙の結果、私たちが推薦した3副会長が落選いたしました。これも日医の現在の姿を表しているのかなというふうな気もいたしますが、とにかく国民に開かれた医師会、国民の声が私たちに届く医師会、それから一人ひとりの会員の先生方が自分たちの医師会であるという共有感を持てるような日医。そんな医師会の再生・再興を考えながら行動していきたいと思っております。どうぞ今後ともよろしくご指導・ご鞭撻をお願いいたしまして、お礼をさせていただきます。
ただ、もう一つ付け加えなきゃいけないことがあります。本当に関西地区の、大阪、兵庫、そのほかの大きな医師会の先生方が全面的に私たちを推してくださったこと。関東地区では栃木をはじめとして大きな埼玉県医師会が私たちを応援してくれたことが勝利につながったと思います。
それと、埼玉県の医師会長の吉原先生が言ったことですが、「茨城県はこんな小さな医師会なのに、何で会長のために役員の先生方が全国を回っているんだ」。本当に今回の小松(満 ・茨城県医師会)副会長も含めて役員の先生方、本当に日本中くまなく歩いてきてくれたおかげで今日の勝利があったと感じております。本当に皆さんのおかげで、本当に皆さんのおかげで今日を迎えることができました。ありがとうございました。
2010年4月 2日 19:46 | 医師会・医療


